何事にも源流があり、流れ続けては進化するのでありましょう。
「能」も、そうでありました様に。
「能」は長く続くことによって、深まり、練り上げられて、
それは演じ方もそうですが、舞台自体も能の発展に寄与してきました。
板の間で、桧舞台で、と進化しては、「型」と呼ばれる様々な所作や舞の技術も
進化したのです。
先人の努力のお陰を被って、やらせて頂いている訳で御座います。
さて、しかしながら時には源流に立ち返ってみたくなります。
それは、精神性というものを深く、或いは純粋に想うならば、
大昔のようなスタイルも現代では、いや、現代だからこそ、
相当な前衛的なものに感じられる舞台空間となるものです。
そして、それは祈りや鎮魂といったものをテーマにすることで体現できることを知りました。
ちょうど昨年の2月2日に、直前まで大雨の葉山美術館の建物周辺で、
回遊しながらゴームリーの作品と一体化を目指した能舞をいたし、
それは正に土の上や芝生の上で舞う、平安初期のスタイルで臨みました。
なんとも気持ちよく、舞う身に於いても浄らかな心地でした。
今の能役者や愛好家の感覚では、「地べたでやるなんて、ケシカラン!」とさえ
思われそうですが、いえいえ、源流に立ち返って御座います、と。
その後、沼津御用邸でも松原の地で、
天橋立の古い神社の境内では、奉納として、
そして、来月にも大阪港の神社で・・・。
みな、祈りや鎮魂の場で、あるいは祭礼の場でなければ、
源流に戻る意義も薄まってしまい、単に「変わった奴」になってしまうでしょう。
そして、源流を知ることによって、進化したことも、その元の意義も、
知ることに繋がれば、良い学びで御座います。