2010年3月アーカイブ

当サイトでもお馴染み、また、「満次郎の会」ロビー展示でも

ご紹介したフォトグラファー佐藤晶子氏は、

ブログ「1」でも紹介した行き付けのワインのお店「ならさん」(1月31日閉店)のオフ会、

多摩川花火大会でお目にかかったのが初対面です。

 

佐藤さんのサイト(リンク集参考)を拝見して、

是非とも撮っていただきたいと思いました。

モノクロへの尋常ではないこだわり、想像の美学でのつながり・・・

 

その深い世界は正しく能との共通点だらけでした。

 

このたび、彼女のサイトに「満次郎の会」ページをお作りいただきました。

 

是非ご高覧くださいませ!!

 

Noh Manjiro plays.

 

 

 

 

 

 

今日はお雛様・・・

このお雛様にまつわる不思議なお話・・・

 

というと怪談物のようでチトコワモノっぽく聞こえましょうが、

カイダン違いの階段にまつわるお話を一席。

 

今は様々な事情から階段、つまり段飾りのお雛飾りも、以前よりは少なくなった様です。

それでもお内裏様とお雛様はキッチリ飾られるお家は多いと思います。

たとえ何かのオマケやお菓子の人形であっても、

いざ飾るとなると、それなりにこだわったり悩んだりするのではないでしょうか?

 

お内裏様とお雛様の並べ方について、

つまりお雛様は左か右かどちらに並べりゃ宜しいんだあ?

と悩む方は多く、結果、附属の説明書を参考に安心してらっしゃるのが現代でしょう。



迷わず左右をおっしゃる方も勿論多数ですが、しかし左・右ご意見が別れるのです。

実は地域性や風習に拠るものですが、よくよく考えれば正解はひとつ、

実際の御座の通りですから、単純明快、階段下から見てお内裏様は右、お雛様は左です。

古来より「左方優先」が日本文化です。左大臣が上ですから同様です。

ですから昔は並べ方は統一されていました。

 

では何故変わったか...

諸説あるなかで、有力説2流をご紹介しましょう。

「京都は向かって左がお雛様、他は右でしょ」とおっしゃる方もいらっしゃいます。

実際そうなのですが、何故ぞ?

①11代将軍家斉の息女「容姫(やすひめ)」が加賀前田候に嫁がれたとき、

本郷の広大な御屋敷に入られる際に門を赤く塗ってお迎えした話は有名ですね。

現東京大学の赤門ですから。

更にお嫁入り道具の雛人形も「目上である」から、通常の並べ方と反対にしたという話から、

江戸庶民にいたるまで逆並べにした。

②終戦後、マッカーサーを昭和天皇両陛下が表敬訪問なされた際のお姿(3ショット)が

新聞に掲載される。

モーニング姿の両陛下はエチケットとして西洋式の立ち位置撮影を受けられたが、

紙面を見た国民は「これが正しい位置であるのか!」と誤解した。

当時は天皇陛下の正装のお姿を見ることない国民だったからか・・・

※これは明治天皇の洋装での御尊影のとおりにした、という説もあり。

 

いずれにしても、人形屋さん業界の申し合わせにより

統一されたようです。

 

ということは、家庭では各自の考え方でも良いのかも。

 

京都のみ違うのは、平安よりの文化を守る京都人のこだわりでしょうか?

 

私も亡父に厳しく古来の通りを言いつけられておりました。

能の世界では「位置」には大変なこだわりですから。

 

五人囃子が能の奏者であり、向かって右から

「謡・笛・小鼓・大鼓・太鼓」

であるのは、能をご覧になれば、ご存知でしょう。

hinakazariPICT0001.jpg

 7人楽人の「雅楽雛」もあるそうです。

 

泣き・笑い・怒り上戸の3衛士の持ち物も、

宮中での掃除道具もあれば、

現在主流の大名行列用の沓などのタイプもあり。

 

さて皆様、これからは古式に並べるか、

現代の風習に習うか、

お家の現実的なパワーバランスに合わせるか・・・?

 

私はひたすら ノウガキ師満次郎・・・

 

 

早いもので3月になりましたね。

 

いまだ気候不順で風邪もはやり、

今年こそ治ったか!?と思った花粉症が突如やはり出てきて・・・

今シーズンは新グッズが出現、鼻孔に入れ込むマスク(使用中です)、

バリアとして塗るジェル、アヒルかカモノハシのような360度シャットアウトマスク・・・。

 

今年はそれでも少々楽なような気がしますので、軽く幸せです。

 

今月の御彼岸連休の21日、名古屋城正門前にある「名古屋能楽堂」にて

本年第2回目の名古屋の宝生流定期能「名古屋宝生会」があり、

私は能「山姥」を勤めます。

 

ちょっと昔に誰が名づけたか「山姥ルック」なる連中が渋谷中心に溢れ、

全国へ伝播していきました。

山に棲む鬼女なはずなのに・・・街に棲む特別な言葉使いをする少女達で、

でも怪しさは共通してらっしゃいましたが。

 

能のお話では、「百万山姥(ひゃくまやまんば)」という遊芸人が都で人気となり、

大スターとして使用人を従えて信濃の善光寺へ参拝を所望します。

やがて境川に到達すると、道が3方に分かれており、

如来が通ったとされる乗り物(馬や輿)もかなわぬ険しい道「上路越え」を選びます。

 

すると陽が高かったのに急に陽が暮れてしまい、道も判らなくなります。

一人の女性が現れ,我が家に泊まることを進めます。

宿主は、山廻りする山姥の歌を歌うらしいが、聞かせてくれと所望します。

なぜか彼女が百万山姥であることを知っていたのです。

だから泊めたとも言います。

 

どこか物すさまじい体で、自分が本物の山姥であることを明かします。

自分のおかげで隠れ無き遊君となったのならば、

感謝して我をたたえよ、感謝せよ、歌えといいます。

恐ろしく思った百万山姥が歌いだそうとすると、

月が出るまで待て、真の姿を現すからと消え去ります。

 

かくして、例の「白頭・赤顔」で恐ろしげな姿で再登場した山姥は、

曲舞(クセマイ)を舞い、山廻りする様を見せて、消え去ります。

 

この「山姥」のクセは「難クセ・三クセ」といって、「歌占」「花カタミ」と共に

難所だらけの難曲であります。

 

山姥は単なる鬼女ではなく、人間のために善行もしていると言います。

山に棲むモノノケといった存在でしょうか。

「悪」のイメージはありません。不思議な、霊的な存在です。

 

・13時開演   ・一般5,000円   ・学生2,000円  

他に能「清 経」、能「羽 衣」バンシキ、狂言「岩 橋」ほか

お取り扱い 電話 / fax共通 052-882-5600 nagoyahoushokai@castle.ocn.ne.jp