2010年2月アーカイブ

遅なわりましたが、つづき・・・

 

前回、

「能楽堂に来ていただく方を増やすには、能楽堂催しの充実をはかるだけでは限界がある」

と申しました。

 

勿論、その催しのコンセプトが受け入れられ、

広報などの努力も、舞台上の充実もちゃんとあれば、

お客様の入りも、大分に期待できるでしょう。

しかし、それは「ひとつの公演が成功した」だけであって、

大多数の催しにおいては、ほぼ大成功は少なく、

ましてや催しを増やしていくことには、繋がり難い状況です。

 

今必要なのは、能楽堂以外の能のイベントの充実をはかり、

そこを門戸として能楽堂へ引っ張ってくること、と思います。

 

1100年前から行われている「興福寺薪御能」をはじめ、

全国で開催される寺社仏閣、城郭、公園、ビルの谷間等々・・・での

野外能。

劇場や屋内特設ステージでの演能。

 

有難いことに、能楽に興味津々な方は、少し前よりも増えています。

特に若い方に多いのです。

しかし、切っ掛けが中々つかめない方が多いのも事実です。

過去の反省を踏まえて、我々側の壁を取り払って

ワークショップを行い、講座を行い、様々努力してバリアフリーでいても、

多くの方が未だに壁を崩さないでいらっしゃるので、

「能楽堂に行くのはちょっと・・・」という状況です。

 

能楽堂意外での催しで興味を抱いた方に

能楽堂へお越しいただく切っ掛けになってくださる為には、

その催しの充実は勿論ですが、

「最高の環境は能楽堂である」というアピールをすることだと思います。

 

新作「能」を作るならば、奇をてらわず、基本的な能の約束事は

崩さないほうが良いと思います。

将来の能の方向性・可能性を求めた催しではないはずですから、

本来の「能楽」の誤解を生じることになり兼ねないでしょう。

 

それ以外で能の手法で能の役者がやるならば、

「能」ではなくて「能舞」とでもすべきですし、

その上で、やることに意義があるならば大いにやれば良い事でしょう。

 

いずれにしても、門戸を広げて切っ掛けを多くすることが最大事であり、

組織的にも急務だと確信します。

 

「本物の能が観てみたい」

「古典が観てみたい」

「能楽堂で観てみたい」

「能の真髄に触れてみたい」・・・

となっていただければ有難いことです。

 

1000年以上の時空を行き続けた能楽を、

たかだか1人間の数十年の担当期間に、

廃れさせたり、滅びる方向性をつけては、

先人に、国家に申し訳ない、というものであります。

 

 

 

 

 

南米チリの巨大地震の被害拡大、大変な事であります。

6年ほど前に在チリ日本大使館のお世話で、日本大使公邸での薪能や

サンチャゴなどのホールで演能をさせていただきました。

日本からは地球の裏側の様な位置にあり、かなりハードワークで

一行11名は鍛えられたものでありました。

20時間以上の飛行機移動で、なんと2泊5日3公演でした。

私の勤めは渡航の団長、兼ツアコン、兼事務局、兼スタッフ、兼・・・・

勿論、舞台を勤めましたが、

1公演メニュー 『解説・能「羽衣」のシテ・能「石橋」のシテ』 を3日連続公演いたしました。


それも楽しい思い出、チリは素晴らしい国でした。

その3年ほど前に行ったアルゼンチン同様、自分の南米十羽一からげ的イメージとは

全く違うお国柄でした。

そんな遠い彼方の地震の余波が、遮るもののあまりない太平洋に拡がり、

日本にも大津波警報が発令され

東海道線、伊豆急なども運転見合わせ、海岸付近の道路通行止め...

移動中だった私でしたが、新幹線は平常で助かりました。

太平洋沿岸の交通網は大きな乱れを生じ、多くの方の足に響いたことでしょう。

 

暴風雨の高波と違い、津波とは海面のみの波ではなく、

海底面からの移動とかで、エネルギーの膨大さは計り知れない違いだそうです。

 

最初の津波が低くても繰り返し押し寄せるので、警戒しなければならない、

海の彼方の津波が見えてから走っても絶対に間に合わない、

津波の水の中は流木や船や瓦礫など含まれ、さらに被害が拡大する

など、本当に恐ろしい話を聞きます。

 

なんとか大難が小難に、小難が無事にすみますよう...







伝統芸能の世界では、「伝承」と「スキルアップ」が

最大事と思います。

 

「改めねばならないこと」は、つまり考え方についてを思っています。

 

能楽の催しの形態やコンセプトは色々あって良いでしょう。

とことん、道を極めることを追求し、それを承知でいらっしゃってくださる方に

観ていただく催し。

普及目的に初心者向けの演目と解説やワークショップを伴った催し。

また、テーマやコンセプトを持った催し。

 

それぞれが大事で、必要な催しであるのは、

もはや現代では、どなたも認識されていることでしょう。

 

さらに、能楽堂へ来てくださる方を増やすためには、

能楽堂での催しの内容を充実するだけでは、

鑑賞人口はそれほど増えていかない という事実を

われわれは思い知る必要があります。

 

われわれの「伝承者」としての意識がどれほどのものか、

老・壮・青の年代を問わず、心配になることがあります。

伝承者の使命として、「守って滅びる」などという発言は

先人にたいしても世の中に対しても、許せないものと考えます。

 

決して「崩してはならないこと」は「正しい能楽の伝承」であり、

それには師匠の下での根本的な修行は勿論、精神的な教育も含まれるでしょう。

しかし、それを拡める手立てについては、様々に柔軟に可能性をさぐり、

展開していく姿勢を持ち続けなければ、いけません。

これは一般社会で言う、生き延びるための企業努力であり、

さりながら、営業や広報・企画・制作の専門家がいる能楽界の組織は

10%以下と思われます。

 

才能ある能楽師が「片手間」に企画・運営をしてなんとかやってこれている情勢は、

そろそろ成り立たなくなってくると思います。

 

    《 つづく 》

 

 

 

 

 

 

 

本日は2箇所でワークショップを勤めました。

ワークショップは100回以上やりましたが、

1日2箇所というのは初めてでした。

 

朝9時半から京都の筋屋町のオリジンプログラムでの日本文化体験講座。

 

普段、外国人に日本文化(能・狂言・書・花・茶)の体験講座をしている「庵」さんの

プログラムを、今回は日本人通訳の方50人を対象にいたしました。

「外国人に日本文化の真髄を伝えるならば、自身が体験しているべき」との

コンセプトで、国家的高度人材育成プログラムの一環として行われました。

 

日本語解説(私)を英訳(スタッフ)して、研修するという仕組みです。

全員に能の所作と能面着用でのすり足・足拍子・シオリ・面ヲ切ルなどの

所作を体験していただきました。

 

その中には

「足袋は左からはくこと」「正座で美しく挨拶すること」「手は小指、足は親指に力」

などなど、「左方優先の文化」「序破急原理」「運動力学」など織り交ぜて、

楽しく・厳しく、ご指導しました。

 

片付けて正午に飛び出し、京阪電車で快速急行で香里園へ・・・

 

13時から始まる、香里園駅前ビル内での、やはり市の公的なワークショップ、

なぜか「能は意外に面白い!」というタイトル・・・。

 

スリリングでしたが、なんとか無事に到着し、スタート。

「能は予想通り面白い」でしょ!?と始めました。

 

70名のご参加で、

地元へのサービスということもあり、

メニューは盛りだくさんにお届けしました。

 

能は古くて前衛的であること、

観客の想像力に頼った芸術であること、

祈りの時代から現存している精神的な部分、

能面の魅力、楽器の体験、装束着付け実演・・・

 

そして船弁慶後半のダイジェスト実演。

 

能を紹介させていただけるチャンスを得て、

なにを出し惜しみしようものか。

 

気の済むまでやらせていただきました。

 

鑑賞、ワークショップを問わず、

能との初めて触れ合いが いかに大事か、

いかに大切に接するかを、忘れてはならないと思います。

生半可な心得では申し訳ないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

25  春日龍神

春日龍神は昭和61年にシテを初演してから数回勤める機会がありましたが、

観ても楽しく、演じても気持ちよく、好きな演目です。

 

11日の大阪定期能「七宝会」、14日の東京宝生会「月並能」で演じられ、

偶然にも両方とも地謡に参加いたします。

 

明恵上人(ワキ)が入唐渡天(中国に入り天竺《インド》に渡る)して

仏蹟を訪ねて修行をしようと思い立ち、春日の宮に暇乞いをしに来ます。

庭を清める宮人(前シテ)はそれを聞き、引き留めます。

 

 当時、海を渡るということは生還の確立も低く、心配したということもありますが、

この春日野で普段奇特を見ているのに、今更命賭けで何をこれ以上もとめるのか?

と、言うのです。

 

その奇特とは・・・・

上人が参詣した際に、三笠の森の草木が枝を垂れてお辞儀をし、

鹿までも膝を折り角を傾けて同じく上人を礼拝したという奇跡でした。

 

宮人はまた、春日明神は上人を片腕のように思い大事にしているので、

日本を離れるのは神慮に背くことになるからやめなさいと説得します。

 

ついに入唐渡天を断念した上人に、

「三笠山を五天竺にして、摩耶の誕生から釈迦の入滅まで再現してやろう」

といって消え去ります。

 

はたして、龍神(後シテ)が八大竜王を始め眷属達を大勢引き連れて、

様々再現し、上人に入唐渡天の志がないのを確認して

猿沢池に飛び込んで失せます。

 

その壮大なスケールを1人で演じるのですから、

難しくも面白い能の演出であります。

 

七宝会は甥の32歳辰巳孝弥、月並能は50歳金井雄資氏のシテです。

 それぞれ時分に応じた舞台を充分発揮してくださる事を期待して、

大いに楽しみにしております。

 

 

立春が過ぎましても、あいかわらず

新幹線は徐行しております・・・

 

のうのう能特別公演は、超満員のお客様のなか、

好評のうちに終了しました。

 

主催の観世喜正さんは39歳ですが、もっと以前からこの会を立ち上げ、

普及に尽力なさっており、才能も長けておられます。

 

宝生と観世の見比べが出来た方は、それほどいらっしゃらないかもしれませんが、

それぞれの主義・主張を我々役者も見直す切っ掛けになったと思います。

 

とても良い緊張感が舞台にも出ていて、若手も刺激を受けてくれたと喜んでおります。

 

途中、あってはいけないことですが、静烏帽子がポロリとなりました。

この静烏帽子は、義経との別れの場面で、

「烏帽子ひたたれ脱ぎ捨てて」という謡に合わせてパラリと落とす所作があり、

そのため特殊な紐の結び方をするので、烏帽子を着付ける後見は経験と技術を要します。

 

簡単に紐がほどける仕組みなので、その分、途中で落ちやすいのです。

 

しかし私にとっては初めての経験でした。

少なからずガッカリもしました。

 

されども、舞台上で腹を立てている場合ではありません。

その後の対応を如何にするかが、腕の見せ所、挽回のチャンスであり、

大過なく再び烏帽子を付けて舞えたのは、幸いでした。

 

宝生流の者が「明治の九郎先生」と尊敬し、言い習わす、「明治の3名人」といわれた

16代宗家宝生九郎先生が「船弁慶」を舞われた際、中ノ舞という舞の真っ最中に

烏帽子が落ちてしまったときに、囃子方がすぐに機転を利かせて、

「アシライ」という、烏帽子を着付けるときの演奏に切り替え、

シテの九郎翁は何事もなかったかのように後見座にくつろぎ、烏帽子をつけ、

舞台に出てまた中ノ舞を舞い始めた・・・という逸話があります。

 

舞台は「生(なま)」ですから何があるかわかりません。

何も無いのが最高の出来栄えですが、何かあったときに如何にカバーするかが、

心得というものでありましょう。

 

シテは慌てず、後見は目立たず、対応しなければなりません。

 

烏帽子が落ちたときに興醒めしたお客様には、

本当に申し訳ございませんでした。

もちろん、あってはいけないことでございます・・・。

 

「観世VS宝生」ではなく、「観世&宝生」とサブタイトルにあったとおりの、

よいよい催しであったと、感謝しております。