264  時には 源流に 立ち返りたく

何事にも源流があり、流れ続けては進化するのでありましょう。

「能」も、そうでありました様に。


「能」は長く続くことによって、深まり、練り上げられて、

それは演じ方もそうですが、舞台自体も能の発展に寄与してきました。

板の間で、桧舞台で、と進化しては、「型」と呼ばれる様々な所作や舞の技術も

進化したのです。

先人の努力のお陰を被って、やらせて頂いている訳で御座います。


さて、しかしながら時には源流に立ち返ってみたくなります。

それは、精神性というものを深く、或いは純粋に想うならば、

大昔のようなスタイルも現代では、いや、現代だからこそ、

相当な前衛的なものに感じられる舞台空間となるものです。


そして、それは祈りや鎮魂といったものをテーマにすることで体現できることを知りました。


ちょうど昨年の2月2日に、直前まで大雨の葉山美術館の建物周辺で、

回遊しながらゴームリーの作品と一体化を目指した能舞をいたし、

それは正に土の上や芝生の上で舞う、平安初期のスタイルで臨みました。


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なんとも気持ちよく、舞う身に於いても浄らかな心地でした。

今の能役者や愛好家の感覚では、「地べたでやるなんて、ケシカラン!」とさえ

思われそうですが、いえいえ、源流に立ち返って御座います、と。



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その後、沼津御用邸でも松原の地で、

天橋立の古い神社の境内では、奉納として、

そして、来月にも大阪港の神社で・・・。

みな、祈りや鎮魂の場で、あるいは祭礼の場でなければ、

源流に戻る意義も薄まってしまい、単に「変わった奴」になってしまうでしょう。



そして、源流を知ることによって、進化したことも、その元の意義も、

知ることに繋がれば、良い学びで御座います。

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