2010年1月アーカイブ

昨日は新幹線が架線の停電事故で大混乱、

当然私も新幹線に棲む身として、巻き込まれました・・・

 

明日はいよいよ、のうのう能特別公演。

私が致します「船弁慶」のみどころを少々...

 

幕から囃子方(楽器奏者)、切り戸口から地謡(コーラス)が登場すると、既に「能」の始まりです。

笛が「ヒーヤーヒーッ」と高い音(ヒシギ)を出すと義経一行が登場。

義経は子方(子役)です。能の演出方法により、船弁慶の義経役は必ず子どもが演じます。

大人の役を子どもが演じるのは、高貴な役柄や、生々しさを抑制したい場合です。

静御前との別れを生々しくせず、子どもの持つ「純粋」「健気」「凛々しさ」を前面に出すためです。

ですから「ヘンテコなカップル」とは観ないで、純粋に別れの哀れさを感じて下さいね。


女連れの逃避行が義経の世間体に障ると考えた弁慶の諌めもあり、

静をひとまず都に返すことに同調した義経でしたが、弁慶の勝手な判断だと疑った静は

直接義経に問いただすと言います。

義経の愛を信じているから、何処までも一緒と誓ったから...それに彼女は強く自立した人物で、

弁慶の指図に従う気も無いんでしょう。

しかし、義経の口から同じ事を聞かされ、弁慶を疑った自分を恥じ、涙にむせびます。



弁慶は、失意のドン底の静を慰め、出船(目的に関わらず出船は目出度い事とされます)に

そぐわないので、涙を留めて烏帽子を付けて舞うように所望します。

 

静は白拍子ですから舞のプロです。

ひとたび舞い始めたら嘆きを忘れて、中国の故事を引用し、

「功なり名を遂げて、身を退くは天の定め」と義経の潔さを讃え、

やがて頼朝とも解り合い仲直り出来るでしょうと謡い舞います。

舞の途中に思わず義経をみて涙を流すのは今回の特殊演出です。

舞い終えた静は、烏帽子を脱ぎ捨て、涙を流しながら立ち去るのでした。



家来は義経が「今日は波風荒いから出発は明日にしよう」といってる事を報告すると、

弁慶は耳を貸さず、「静と別れを惜しんでらっしゃる場合ではない、平家を滅ぼしたときの船出は

もっと波風荒かったぞ」と言って、強引に船出します。

 

この「船」は竹に白布を巻いただけの簡素な船...

しかし、上手く考えて作られています。  なにしろ1人で持ち運びも できますから。



波静かな瀬戸内海が、突然黒雲が現れ、大波が襲いかかります。

船頭と囃子の見せ所です。「波頭」といって、波の襲い掛かる有様を現す大小鼓と、

波を必死に鎮めようとする船頭の緊迫する場面です。

 

屈強な船頭達(1人しか登場しませんがタクサンいることになっております)が必死に漕ぎますが、

大波からは逃れられず、ついには海の中から平家一門の亡霊が現れます。

見所(けんしょ)は海と亡霊だらけ、と思って下さい。

ただし、義経は全く動じません。

「今更驚くべからず。悪逆無道を尽くし滅んだ平家など恐れるな」と...

「義経に怨みはらし隊」代表の平知盛の亡霊が浮かび上がります。

「波に浮かみて見えたるぞや」と太鼓の演奏が始まれば、揚げ幕をご覧ください。

「後ノ出」の特殊演出です。

 

知盛の亡霊は、相当ヤバい奴です。

薙刀を振りかざし襲いかかります。

いくら義経が強者でも亡霊相手では、たまりません。

弁慶は経文を唱え、数珠をおしもむと、さすがに亡霊も近寄れず、

それでも何度も襲い掛かるのですが、ついには口惜しく波に沈んで行くのでした...

 

幕に一旦入ったあとに、もう一度幕を上げ、後姿を見せて波に沈むさまを表現し、

「残り留め」といって、謡は終了していますが囃子だけの演奏が残る終曲です。

これも今回の特殊演出「留ノ伝」です。

 

明日は、「新宿シティハーフマラソン大会」のため、朝9時~11時半まで

千駄ヶ谷の国立能楽堂周辺道路が規制されますので、お気をつけていらして下さい。

 



 

22  新春若草能

「お知らせ」でもご案内した通り、1月10日・11日と「新春若草能 特別公演」が

奈良の新公会堂能楽ホールで開催されました。

毎年一流儀が輪番でさせていただいておりましたが、

本年は「平城遷都1300年記念」ということで、この3連休中の2日間、

「大和四座(観世・金春・宝生・金剛)」揃い踏みという特別公演でした。

 

それぞれ奈良を題材にした曲目で、金春「采女」金剛「春日竜神」宝生「国栖」観世「野守」

という選定でした。

 

私は国栖のシテを勤めました。この曲は昭和39年に私が初舞台で子方(天皇役)を演じた、

思い出の演目であります。

 

私にも人並みに幼く可愛らしい時代があり、さらに明かしますと、

予定よりも1ヶ月早く未熟児として世に出でたのであります。

皆さん、この話をしますとギャグだと解釈なさいますが・・・

 

舞台を無事に終えたあとに、奈良公園で「せんと君」と友達になりました。

彼の生みの親の薮内先生と懇意にさせてもらっていることを話しましたが、

終始、せんと君は無言で頷くだけでした・・・。

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人材育成は、すべての職能において、大きな問題でありましょう。

われわれ伝統を伝承する立場の者は、自分の修行とともに

大事なことです。

 

我々にとって人材育成とは、演じる者を育てることばかりではなく、

観てくださる方々を増やす、という観点でも人材育成となります。

 

しかし、後継者の育成はどの業界でも悩みの種であり、

なんとかやろう、という人物が素質があるとは限らない悲しさもあり・・・

 

「金の卵」を過保護にするわけにもいきません。

 

「愛情を持って、厳しく!」が一番と思っています。

 

本人たちの強い希望でこの道を目指している高校2年生が2人、

kangeikoSN3K005600010001.jpg私の元で修行中です。

正月は4日・5日と特訓寒稽古でした。

鳩の森八幡神社の舞台で稽古しましたので、

2人の今後の心願成就を願い、ご祈祷もいただきました。

 

彼らの成長を願い、当方も「楽しみ」と「苦しみ」をもって

体力を維持しなければ勤まりません・・・

 

 

 

 

 

お正月の初会や舞台披きなどに演じられる「翁(おきな)」という曲目は

「能にして能にあらず」などと言われます。

これは「翁」がもともとは「神事」として行われていたものであり、

それは能が出来るよりもっと前からあったものだからです。

 

奈良春日大社では、翁を勤める専門の家柄の神主たちがシテの翁を3人で勤め、

他の家の神主、あるいはそれに準ずる人が三番三(三番叟)を勤めていたのを、

平安末期くらいから、所作の美しい能役者(シテ方)がシテの翁を1人で勤めるようになり、

三番三は狂言方が勤めるようになったようです。

 

この翁を勤める専門の家(長権の守家)の古文書が昭和の末に見つかり、

現在はこれを復元して毎年5月に春日大社で金春流能役者が儀式として演じています。

 

もっとも、現在演じられている「能の翁」も、

天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈る神事であることは、かわりません。

 

精進潔斎、別火や開演前の御盃事など、さまざまな儀式的なこともあります。

「翁」は「演じる」というよりも、まさしく「祈る」といった感覚で勤めるものです。

 

最初にシテの翁ではなく、「御神体」である能面を持った「面箱持ち」から登場します。

舞台上で面をつけた瞬間に「神」となり、はずすと「人間(神主)」となります。

 

感情表現は全くなく、心を無にすることに徹します。

 

深々と客席のほうに礼をして始まり、終わりもまた礼をして下がるのも、

お客様にではなく、森羅万象に対してしているのです。

 

そういったわけで、開演中の入退場はお断りするほど、大事に扱わせていただいております。

 

 

19 恭賀新年

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 恭 賀 新 年!

 

 

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                                                                                       新年 三ヶ日は ことのほか穏やかな日和で、

佳きお正月でございました。

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厳かな日の出や美しい富士も眺めることができて、

幸先の良い思いをいたしました。  

 

本年もお力添えを賜り、確りと参りたいと存じます。

何卒 宜しくお願い申し上げます。