2012年3月アーカイブ

明日は秋の宝生会別会、

能「景清」 「源氏供養 真之舞入」 「道成寺」と

すごい御馳走です。

2月には完売、有難いことでございます。

「道成寺」は澤田宏司が披きとして勤めます。

これが無事に出来たら、やっと能楽師として「大人」の仲間入りという事。

もちろん、少なくとも あと15年は「まだまだ若い」と言われるのですが・・・

披き物は「無事」が一番です。


さて、

お知らせにもございますが、

次なる大きな韓国公演は4月4日19:30~南山国楽堂の

「日韓伝統文化交流『能楽&韓楽』」であります。


南山(ナムサン)という、李王朝期の古城のある特別な地には、

様々な歴史があります。

とても複雑な気持ちにもさせられます。


昭和10年に祖父辰巳孝一郎が音頭をとって、当時の宗家宝生九郎重英師一行とともに

満州・朝鮮・中国を公演したさいに、南山には父・叔父も立ち寄りました。

南山には能舞台もあったのです。


今回、偶然にもその南山国楽堂(国楽堂はソウルに3か所のみ)で

韓国の伝統無形文化財「国楽」と同じ舞台でそれぞれの技芸を演じ、

さらには習合をも、もくろむこと、感慨ひとしおです。


今回の交流使活動では、講演・講義・公演含めて22回の活動があります。

延べ30日間にこれだけこなすには、体力・気力ほか、色々大変であります。


今はソウルのシンボル、南山ソウルタワーのある地に、

両国の伝統文化交流を通じて、それぞれの深い理解を期待するばかりです。

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おしらせにもございますように、土曜日は五雲会、日曜日は名古屋宝生会定式能でございます。

多数お出かけ頂けます様に願っております。


名古屋では国栖のシテを勤めます。

壬申の乱をテーマにした緊迫した前半と、
神の舞をテーマにした後半、大変面白い能の演出をお楽しみいただける曲です。

叔父の大伴皇子に襲われて吉野山に逃れてきた清見原天皇(子方)は
3日間ほど食事も出来ず、漁師の老人(前シテ)が献上した鮎を食し、
その残りを老人に授けます。

その御残りは、あまりに生き生きとしていて、吉野川へ放つと
また泳ぎ出すという伝説も出てきます。(鮎の段)

追手が迫り、船をうつ伏せて隠れる場面、緊迫した展開です。
追手を追い返す老人も圧巻。

やがて天より花降り下り音楽聞こえ、天女が現れて舞います。

通常天女は「天女の舞」という音楽で舞うのですが、
この曲に限り、「下がり端」という音楽で舞います。

そして蔵王権現(後シテ)が出現し、勇壮な舞を見せて、
天皇を守護することを誓い、虚空に去って行きます。


私の初舞台はこの曲の子方でした。

今回も可愛い子方が登場します。お楽しみに。




165 祈り

哀悼の深念は難しくないが、

「鎮魂」をしようとなると、大それた感でございます。


しかし、音楽や詩歌、アートなど文化芸術は「力」のあるものです。

復興の「支え」となり、場合によっては「切っ掛け」にもなるでしょう。


被災地を中心にして、関わる様々の人間が希望を持つことこそ、

復興の力であり、鎮魂にも結び付くこと、なのかと思っております。


己の力は微であっても、祈りに通ずる芸術の力を信じたいと思います。











3月1日の独立記念日(日本から独立した記念)を静かに過ごし、

2日には日本からの「日韓文化交流使節団」50名を迎え、

在韓日本大使館 広報文化院でのワークショップ(2日)、公演(3日)とも

大成功のうちに終了致しました。


文化院のホールが120%の超満員、有難いばかりです。

日本伝統文化に関心を持って下さるとは・・・本当に嬉しいことです。


囃子方は国立能楽堂が派遣してくれました。

栗林祐輔、森貴史、大倉慶乃助、大川典良の各氏。

「本物の五人囃子を連れきました!」と紹介すると御客様は大喜び。


ギャラリーは雛人形、日本から「着物姿」で来てもらった財団法人友愛会茶道部の方々による、

雛祭りのお菓子とお抹茶のサービスも好評でした。


公演「伝統の力 能楽&韓楽」では、若手新人プロ「アンサンブル シナウィー」にも

出演して頂きました。 両国の文化交流の為に、と、破格で。

能楽との共通性はたくさんあります。


今回5度目の活動でしたが、まだ3回往復します。

本格的な公演のほか、ワークショップや講座、

芸術や演劇の専門家対象の講義など、まだまだ続きます。


能楽の種を少しは蒔けると期待します。


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