葉桜になりても、この週末は「この春ばかりの花見よ」とばかりに、
桜花を惜しむ方々もありましょうし、
或いは「咲きも残らず散りも始めず」とばかりの、今を盛りと咲く地域もありましょう。
ソメイヨシノのみならず枝垂桜、八重桜、薄くも濃くも花の春。
私のような花粉症患者は、花見も出来ぬ、無粋者。
いや、ガラス越しに風情を楽しむくらいは・・・。
桜の咲く頃は、出会いもあり別れもあり、出発もあり終点もあり?
美しく、目出度く、儚く・・・
しかし、春さえあらば、又、花も咲かん。
春は心にあり! と生きて行きたいもので御座います。
さて、明日は正午より宝生会主催「月並能」、
宝生会主催公演では年に1度のお役を賜っておりますが、
難曲、「桜川」を勤めさせていただきます。
所謂、「狂女物」と申します曲柄、物狂いとなった母が我が子を探し求める物語り、
パフォーマンスとしての「狂い」は我が子を探す情報収集の手段でもあり、
見物人と問答をして、時には悲しく、或いは狂おしく、
芸を織り交ぜ、風流心や教養を見せ、楽しませるのです。
桜子と言う少年、母親があまりに惨めな暮らしをするのに見かねて、
我が身を人商人に売り、その身代金で良い暮らしを...と、遥々常陸まで売られて行きます。
息子からの手紙でそれを知った母親は、
物狂いとなって筑紫日向(宮崎)から常陸(茨城県)まで我が子を追います。
普段は狂女の持ち物は「狂い笹」ですが、この曲は「すくい網」。
美しいすくい網を持って、桜川に散り浮く桜花を、我が子にかけてすくい舞う物狂い。
ついに常陸の国、桜川と言うところで磯辺寺に身を置く桜子と廻り合い、
やがて故郷へ共に帰って行きます。
例によって、舞台には桜の花は全く存在しません。
ご覧になる方が、桜の花を、桜花の散り浮く桜川を創り出して頂けますように。
ところで、この桜子の子役は一言の台詞もなく、1時間すわりっぱなし、
最後の5分間のみ立ち上がれるという、苦しみの役で御座います。
我慢は宿命の修行であり、 健気さは能の演出でもあり。