新聞報道にもありましたので、ご存知の方もあるでしょう。
女流能楽師随一と言われた、倉本雅さんが3月24日未明に自宅で急逝なさいました。
直前までお弟子の稽古、全くお元気であり、突然のことでありました。
私も直ぐに神戸に駆けつけましたが、未だにピンと来ません。
今月には恒例の「梗風会」と言う、師の同門会があり、
毎年皆がお世話になる催しで、楽しみにしておりました。
来月には私の「満次郎の会」大阪公演にもご出演いただくことになっておりました。
まことに、残念で仕方ありません。
芸に厳しく、人に優しい、そんな方でした。
宝生の重厚な謡を正確に謡える、数少ない女流能楽師でした。
流儀内外にも認められていたのは、およそ彼女1人でありましょう。
10歳にして祖父辰巳孝一郎に師事し、翌年に能を舞い、人々を驚かせ、
先々々代宗家宝生九郎師・亡父辰巳孝の厳しい稽古に鍛えられ、
ついには皆の目標となられました。
晩年は膝を傷められ、座す事思うに任せないこともあり、
「早く辞めたい」とおっしゃるのを、なんとか説得して無理を強いてきたことを
申し訳なく思っております。
落胆この上なき関係各位でありましたが、
それぞれが、これでは故人に面目ないと思い直し、
梗風会もなんとか恩返し、供養のために私どもが補佐して、開催することとなりました。
また、私の会には仕舞「網之段」でしたが、色々悩んだ挙句、
代役は立てずに、連吟として謡だけで演じ、
倉本さんの舞姿を想い浮かべていただこうと決めました。
師の努力と功績を忘れず、恥ずかしく無い舞台を皆で目指すことが
何よりの供養かと存じます。
合掌
女流能楽師随一と言われた、倉本雅さんが3月24日未明に自宅で急逝なさいました。
直前までお弟子の稽古、全くお元気であり、突然のことでありました。
私も直ぐに神戸に駆けつけましたが、未だにピンと来ません。
今月には恒例の「梗風会」と言う、師の同門会があり、
毎年皆がお世話になる催しで、楽しみにしておりました。
来月には私の「満次郎の会」大阪公演にもご出演いただくことになっておりました。
まことに、残念で仕方ありません。
芸に厳しく、人に優しい、そんな方でした。
宝生の重厚な謡を正確に謡える、数少ない女流能楽師でした。
流儀内外にも認められていたのは、およそ彼女1人でありましょう。
10歳にして祖父辰巳孝一郎に師事し、翌年に能を舞い、人々を驚かせ、
先々々代宗家宝生九郎師・亡父辰巳孝の厳しい稽古に鍛えられ、
ついには皆の目標となられました。
晩年は膝を傷められ、座す事思うに任せないこともあり、
「早く辞めたい」とおっしゃるのを、なんとか説得して無理を強いてきたことを
申し訳なく思っております。
落胆この上なき関係各位でありましたが、
それぞれが、これでは故人に面目ないと思い直し、
梗風会もなんとか恩返し、供養のために私どもが補佐して、開催することとなりました。
また、私の会には仕舞「網之段」でしたが、色々悩んだ挙句、
代役は立てずに、連吟として謡だけで演じ、
倉本さんの舞姿を想い浮かべていただこうと決めました。
師の努力と功績を忘れず、恥ずかしく無い舞台を皆で目指すことが
何よりの供養かと存じます。
合掌