256 明日は宝生会月並能 「桜川」を勤めます

葉桜になりても、この週末は「この春ばかりの花見よ」とばかりに、

桜花を惜しむ方々もありましょうし、

或いは「咲きも残らず散りも始めず」とばかりの、今を盛りと咲く地域もありましょう。


ソメイヨシノのみならず枝垂桜、八重桜、薄くも濃くも花の春。


私のような花粉症患者は、花見も出来ぬ、無粋者。

いや、ガラス越しに風情を楽しむくらいは・・・。


桜の咲く頃は、出会いもあり別れもあり、出発もあり終点もあり?

美しく、目出度く、儚く・・・

しかし、春さえあらば、又、花も咲かん。

春は心にあり! と生きて行きたいもので御座います。


さて、明日は正午より宝生会主催「月並能」、

宝生会主催公演では年に1度のお役を賜っておりますが、

難曲、「桜川」を勤めさせていただきます。


所謂、「狂女物」と申します曲柄、物狂いとなった母が我が子を探し求める物語り、

パフォーマンスとしての「狂い」は我が子を探す情報収集の手段でもあり、

見物人と問答をして、時には悲しく、或いは狂おしく、

芸を織り交ぜ、風流心や教養を見せ、楽しませるのです。


桜子と言う少年、母親があまりに惨めな暮らしをするのに見かねて、

我が身を人商人に売り、その身代金で良い暮らしを...と、遥々常陸まで売られて行きます。

 

息子からの手紙でそれを知った母親は、

物狂いとなって筑紫日向(宮崎)から常陸(茨城県)まで我が子を追います。


普段は狂女の持ち物は「狂い笹」ですが、この曲は「すくい網」。

美しいすくい網を持って、桜川に散り浮く桜花を、我が子にかけてすくい舞う物狂い。


ついに常陸の国、桜川と言うところで磯辺寺に身を置く桜子と廻り合い、

やがて故郷へ共に帰って行きます。


例によって、舞台には桜の花は全く存在しません。

ご覧になる方が、桜の花を、桜花の散り浮く桜川を創り出して頂けますように。


ところで、この桜子の子役は一言の台詞もなく、1時間すわりっぱなし、

最後の5分間のみ立ち上がれるという、苦しみの役で御座います。

 

我慢は宿命の修行であり、 健気さは能の演出でもあり。



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