12 七宝会を想う

「七宝会」とは祖父の孝一郎が興した、関西唯一の宝生流の定期能主催団体です。

本年も一昨日12日に今年最後の定期能を終えることができました。

ご後援の皆様、関係各位には深く感謝申し上げます。

 

孝一郎は昭和初年に代々の住居、金沢石引より大阪に移り、

当時ほぼ宝生流の不毛地であった大阪の能役者を集め、

7人で「七宝会」を創設、当時日本一と言われた大阪能楽殿建設に尽力し、

東京より家元をはじめ松本長、野口兼資、桐谷正治、近藤乾三各師を招き、

定期能を主宰しました。

 

また、中国大連などにも度々出掛け、流儀初の海外能楽公演団を組織して

大連能楽堂などで公演もしました。

前述の先生方のほか、若宗家(英雄師)、野村蘭作師、髙橋進師、大坪十喜雄師、

本間広清師、最若手は父の孝。

そのほかワキは漱石の師でもある宝生新師、弥一師、狂言は先代茂山忠三郎師、

囃子方の最若手は父と同年で先日亡くなられた藤田大五郎師でした。

 

戦後帰還した父があとを継ぎ、香里能楽堂が昭和42年にできてから今日まで

定期能を続けております。父は亡くなっております。

 

孝一郎は入浴中に私とそれほど変わらぬ年齢で急逝し、東京で修行中であった父は

急遽大阪に戻り、すぐに召集されて出兵しました。

戦地から葉書で母親に「お金に困れば装束・能面類を処分なさってください」と

送ったそうですが、帰還後第一声は「お母さん、面は?」だったとか。

祖母はキッチリと面を守っておりました。

 

我々が1000年以上続く能楽を伝承していく1コマであるだけではなく、

この会を存続していく使命も大変重いものであります。

大げさでなく「存続の危機」が続く七宝会ですが、どうぞ今後も

倍旧のお力添えを賜りたく存じます。

 

孝一郎の66回目の命日に・・・