29  続・改めねばならないこと 崩してはならないこと

遅なわりましたが、つづき・・・

 

前回、

「能楽堂に来ていただく方を増やすには、能楽堂催しの充実をはかるだけでは限界がある」

と申しました。

 

勿論、その催しのコンセプトが受け入れられ、

広報などの努力も、舞台上の充実もちゃんとあれば、

お客様の入りも、大分に期待できるでしょう。

しかし、それは「ひとつの公演が成功した」だけであって、

大多数の催しにおいては、ほぼ大成功は少なく、

ましてや催しを増やしていくことには、繋がり難い状況です。

 

今必要なのは、能楽堂以外の能のイベントの充実をはかり、

そこを門戸として能楽堂へ引っ張ってくること、と思います。

 

1100年前から行われている「興福寺薪御能」をはじめ、

全国で開催される寺社仏閣、城郭、公園、ビルの谷間等々・・・での

野外能。

劇場や屋内特設ステージでの演能。

 

有難いことに、能楽に興味津々な方は、少し前よりも増えています。

特に若い方に多いのです。

しかし、切っ掛けが中々つかめない方が多いのも事実です。

過去の反省を踏まえて、我々側の壁を取り払って

ワークショップを行い、講座を行い、様々努力してバリアフリーでいても、

多くの方が未だに壁を崩さないでいらっしゃるので、

「能楽堂に行くのはちょっと・・・」という状況です。

 

能楽堂意外での催しで興味を抱いた方に

能楽堂へお越しいただく切っ掛けになってくださる為には、

その催しの充実は勿論ですが、

「最高の環境は能楽堂である」というアピールをすることだと思います。

 

新作「能」を作るならば、奇をてらわず、基本的な能の約束事は

崩さないほうが良いと思います。

将来の能の方向性・可能性を求めた催しではないはずですから、

本来の「能楽」の誤解を生じることになり兼ねないでしょう。

 

それ以外で能の手法で能の役者がやるならば、

「能」ではなくて「能舞」とでもすべきですし、

その上で、やることに意義があるならば大いにやれば良い事でしょう。

 

いずれにしても、門戸を広げて切っ掛けを多くすることが最大事であり、

組織的にも急務だと確信します。

 

「本物の能が観てみたい」

「古典が観てみたい」

「能楽堂で観てみたい」

「能の真髄に触れてみたい」・・・

となっていただければ有難いことです。

 

1000年以上の時空を行き続けた能楽を、

たかだか1人間の数十年の担当期間に、

廃れさせたり、滅びる方向性をつけては、

先人に、国家に申し訳ない、というものであります。