ぎゅうぎゅう詰めの新幹線で帰京中であります。
本日は実家の香里能楽堂で開催の宝生流唯一の定期能公演「七宝会」で
「誓願寺」シテを勤めました。
昨日、東京・大阪(間で京都御所の近くでもう1つありましたが)で申合せすませ、
既に今朝は筋肉痛でありまして、やはりこの曲は難曲で大変な消耗です。
本日は朝から「養老」(シテ澤田宏司)の申合せもあり、つまり本番入れると
能2番謡い、誓願寺のシテも勤めた訳でありまして、
しかしこれは東京以外の弱小興業ではほぼ当たり前のことです。
1時間58分でございました。
これを見てウンザリしては困ります。
勤めるまでは、ひたすら逃げ出したいような感覚でおりましたが、
これほど短期で繰り返しているうちに、不思議とこの曲の良さ、面白さが解ってきました。
まったく未熟でお恥ずかしい話ですが・・・。
しかも明日はその誓願寺で和泉式部の供養が執り行われるとか、
ますます愛着が涌こうと云うものです。
甥の孝弥が数ヶ月前に誓願寺でお守りを買ってきてくれましたが、
「女人往生」「芸道成就」と書かれています。
和泉式部ばかりではなく、清少納言もここで往生しています。
いただいた札に「六十万人決定往生」とあることに不審し、「六十万人」が人数ではなく、
四句の文言の上の字であり、南無阿弥陀部を唱えれば皆成仏できると知る女。
彼女は和泉式部の化身でありました。
一遍上人に頼み、上人の手跡で六字の名号「南無阿弥陀仏」に額を打ちかえてもらい、
「あら有難の額の名号やな」と喜びをなす式部。
和歌の道に長けたものは、歌舞の菩薩の化現(けげん)であると言います。
式部は上人に六字の名号に書き換えることを「御本尊の御告げと思し召せ」と言います。
今日もそのつもりで勤めましたが、明日も和泉式部の供養の気持ちも備えたいと
思っております。