42  誓願寺への思い・・・

ぎゅうぎゅう詰めの新幹線で帰京中であります。

 

本日は実家の香里能楽堂で開催の宝生流唯一の定期能公演「七宝会」で

「誓願寺」シテを勤めました。

昨日、東京・大阪(間で京都御所の近くでもう1つありましたが)で申合せすませ、

既に今朝は筋肉痛でありまして、やはりこの曲は難曲で大変な消耗です。

 

本日は朝から「養老」(シテ澤田宏司)の申合せもあり、つまり本番入れると

能2番謡い、誓願寺のシテも勤めた訳でありまして、

しかしこれは東京以外の弱小興業ではほぼ当たり前のことです。

 

1時間58分でございました。

 

これを見てウンザリしては困ります。

 

勤めるまでは、ひたすら逃げ出したいような感覚でおりましたが、

これほど短期で繰り返しているうちに、不思議とこの曲の良さ、面白さが解ってきました。

 

まったく未熟でお恥ずかしい話ですが・・・。

 

しかも明日はその誓願寺で和泉式部の供養が執り行われるとか、

ますます愛着が涌こうと云うものです。

 

甥の孝弥が数ヶ月前に誓願寺でお守りを買ってきてくれましたが、

「女人往生」「芸道成就」と書かれています。

 

和泉式部ばかりではなく、清少納言もここで往生しています。

 

いただいた札に「六十万人決定往生」とあることに不審し、「六十万人」が人数ではなく、

四句の文言の上の字であり、南無阿弥陀部を唱えれば皆成仏できると知る女。

彼女は和泉式部の化身でありました。

一遍上人に頼み、上人の手跡で六字の名号「南無阿弥陀仏」に額を打ちかえてもらい、

「あら有難の額の名号やな」と喜びをなす式部。

 

和歌の道に長けたものは、歌舞の菩薩の化現(けげん)であると言います。

 

式部は上人に六字の名号に書き換えることを「御本尊の御告げと思し召せ」と言います。

 

今日もそのつもりで勤めましたが、明日も和泉式部の供養の気持ちも備えたいと

思っております。