46 いのち

いつの間にか気が付いたら自分にも命がありますが、

こんな有難いことはありません。

 

いらない命など絶対に世には無い筈です。

生まれてきた目的が在る筈です。

生かされている間が使命なのでしょうか。

 

しかし突然奪われてしまうと、周りも本人も(たぶん)

たいそう驚き、哀しみ、戸惑います。

 

度重なる同年代の同志の訃報に接するのも修行でしょうか。

 

「お待ちしています!」という署名入りの招待状を開けたころに、

無常にも、その筆者は亡くなっていました。

同年で夏場に親睦をはかる「獅子の会」を・・・と計画していた矢先であり、

親子三代の獅子(石橋大獅子)を拝見する筈の日が葬儀になるとは残念の極み。

 

翌日には、祖父孝一郎からのお弟子であり宝生会専務理事も務めた高弟が

94歳の大往生を遂げられました。

子どもの内から、親子三代で大変お世話になりました。

 

それぞれ「天寿を全うされた」と思いたいです。

 

謹んで哀悼申し上げるとともに、いのちの尊さを噛み締め、

しっかりと生きていくことの大事さを痛感する次第です。

 

重い話が続きましたので、先日三島の稽古場前で撮った

カルガモ親子の写真を・・・

 

いのちは絶え間ないものですね。

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