58 女城主と岩村城趾薪能

岐阜恵那市岩村で26回を数えた薪能。iwamura 2010.jpgのサムネール画像

 

28日にお天気良好のなかに無事に開催されました。

岩村城は「霧ヶ城」とも言われたくらいの要塞で、

つまり雨にたたられやすい地でもあります。

実際に、4年に1回ほどは雨天のために、至近の体育館で

開催したこともあります。

 実行委員会のご心労は毎年如何ばかりかと存じます。

 本当にお世話様です。感謝申し上げます。

 

岩村城は山城なれど甲斐武田と尾張織田の勢力争いにおいて

重要な地を占めていました。しかも難攻不落の城です。

 

今も岩村の人々に語り継がれ、愛される「女城主」の悲話あり。

 

武田方の秋山信友が岩村城を攻めたとき、

信長の5男御坊丸を養子に迎えていた遠山景任の未亡人「修理夫人」は

幼い御坊丸の代わりに城を守り、「女城主」として奮戦します。

修理夫人は実は信長の叔母であり、信長より年下で絶世の美女だったといいます。

 

難攻した信友は女城主に御坊丸の安泰と領民の安全保障を条件に

城を開き、自分の妻となるように持ちかけます。

 

御坊丸の行く末と、領民の安全を願った修理夫人は、

自らを犠牲として開城します。

ところが、信長の叔母と夫婦になったことで武田に負い目を感じ、

御坊丸を甲斐に人質に出してしまいます。

 

激怒した信長が岩村をを攻めるのは、長篠の合戦で勝頼を打破したあとです。

信友も叔母をも逆さ磔にして処刑したという恐ろしい話。

 

修理は信長への呪いともいえる恨みの言葉を遺しました。

 

その7年後に本能寺の変です。

 

岩村では「女城主」の町として旧城下町の風情も残し、

iwamura 2010 2.jpg観光スポットとなっています。

 

来年は8月27日土曜日の予定、

是非いらっしゃいませ!