あっと言う間に、クリスマスも過ぎ去り、押し詰まってしまいました。
稽古・会議・舞台出演などで京都・大阪での仕事が重なり、
珍しく1週間ほど関西滞在でした。
いろいろございました。
携帯も故障し・・・
さまざまな「ご縁」をいただいたかたと過ごしておりました。
毎年23日は、能楽協会大阪支部主催の「歳末助け合い能」があり、
今年は大阪稽古を済ましてから応援出演して、仕舞「弱法師(よろぼうし)」地頭を勤めました。
大阪支部に所属する能楽師たちが一同に出演するわけで、
各流儀参加ですから、華やかに賑やかです。
昼夜2公演、同一演目を、違う流儀、違う役者が演ずるのも
興味をそそる企画です。
普段とは違う「立会能」的な、良い緊張感も役者側に出ます。
見所は満席でした。
その後京都に移り、世界で名を馳す精進料理人、棚橋俊夫さん宅にお邪魔しました。
氏は昨年、東京より京都に移り、造形大学で教鞭をとっておられます。
もともとは彼のお店「月心居」で大倉源次郎さんと共演したご縁でしたが、
彼が修行した近江の「月心寺」が、私が子ども時代から懇意にさせていただいていた、
という偶然もあって、まさしく「ご縁」を感じる御仁です。
月心寺は、能によく引用される近江の「走井の水」がある御寺です。
広重の浮世絵にも、走井の水は茶店と共に登場します。
大正期に橋本閑雪の別邸となり、その後寺になりましたが、
私の伯父と閑雪が懇意にしていたために、子どものころから
伺っていたのです。
精進料理のおいしい寺として有名です。
棚橋さんと「男2人」で色々語り合えた一夜でした。
24日早朝、棚橋宅を失礼して、山陰線で亀岡に稽古に参りました。
さすがに冷え込んでおりました。
しかし、清浄な空気の中での稽古は気持ちの良いものでした。
稽古は20時までいたし、クリスマスイヴは京都四条に戻り、
DVDでお世話になっている作曲家の上田益さんと「男2人」で打合せ兼クリスマスディナー。
新年、来月の17日に神戸松方ホールでの「レクイエムプロジェクト」で
今回は私が新作能舞「光明」を勤めます。
※毎年恒例、更に入場無料とあって、皆さまに告知する間もなく、
すぐに定員に達してしまいました。
上田さんは、わたくしが「会長」と慕う、日本刺繍家でピアニストでもある久渡かおるさんの
御紹介に依るものです。
上田さんは久渡さんの幼馴染です。
そして、私と上田さんは、実家も現住所も、近所なのであります。
満次郎の会に関わっていただいている方の中にも、「会長系」の方がいらっしゃいます。
上田さんとお互いに会長の御引き合わせに感謝した次第であります。
その後、左京区の某大学部室にて開催されている忘年会に闖入、
指導を任せる能楽師と学生達20人と杯をかわしました。
勿論、サンタさんとして、手土産持参でサプライズ出現いたしました。
25日も加茂の河原にあるS荘を拝借して、プロジェクト会議。
代表は同志社女子大教授の仲万美子氏。
この方との御縁も不思議であります。
それぞれの祖父が大連で謡の師弟関係にあったのですが、
氏が御研究のために御自身の祖父様の日記を調査していた際に、
祖父孝一郎の名をご覧になり、或る方を通じて私にたどり着き、
御一緒に研究プロジェクトに関わることになりました。
そして、孫同志も師弟関係となったのです・・・。
夜には実家で35年ぶりにクリスマスを過ごしました。
26日は講師を勤める大阪能楽養成会の発表会。
下は中学生から20代まで、能楽師予備軍が元気に舞台を勤めました。
課題はそれぞれありますが、やる気はシッカリあるようで、
少し安心しました。
彼らに度々話してもまだ理解できていないでしょうが、
いかに幸せな環境にいるか・・・。
年間4回の発表会に、それぞれの手厚い稽古、お客様の温かい応援。
それもこれも、ご支援の賜物。
いつか報える様に頑張ってもらいたいばかりです。
街は大忙し、
加茂の河原は静かでした。
ゆく水の流れは絶えずして、
しかも元の水にはあらず・・・