はやくも梅雨入りしてしまい、
爽やかな5月は、あったのやら・・・
ここ最近、杜若の能に度々関わっております。
5月ですから当然の様ですが、「杜若」関連がいつになく多いのです。
「いずれ菖蒲か杜若・・・」の句は、彼の源頼政の製です。
21日に興福寺薪御能 南大門の儀で「鵺」を勤めました。
鵺を退治したのは頼政です。
その功績により、鳥羽上皇が褒美に好きなものを申せと。
彼はかねてより恋心を抱いていた美女で名高い菖蒲御前を賜りたいと申し上げます。
実は菖蒲の前に恋文を出していましたが、無視されていたとか・・・
上皇は菖蒲の前を惜しみ、12人の美女御前を召し出し、
この中から菖蒲の前を選び出したなら授けると下します。
困り果てた頼政は、
「五月雨に 沢辺のまこも 水こえて いずれ菖蒲と ひきぞ煩ふ」
と詠み、感じ入った上皇は菖蒲御前を与えたのです。
その頼政も保元・平治の乱には勝ち組に属し、清盛の信頼も得て、
当時の源氏には異例の「三位」に推挙され、「源三位」と呼ばれます。
しかし平家の所業に怒りをなし、高倉宮を立ててクーデターを起こし、
各地の源氏に呼びかけますが、体制整わないうちに攻められ、
平等院に籠るも、扇を敷き自害して果てます。
ちょうどその5月26日の命日に国立能楽堂で武田孝史さんの蝋燭能「頼政」があり、
特に暗めの設営の国立能楽堂演出では、本当に霊が現れたようでありました。
そして、28日は大宮薪能で宗家の杜若、
29日にはMOA定期能で大坪喜美雄さんの杜若がありました。
7月には追善別会で杜若沢之舞を舞います。
何やら、杜若にご縁があります。
三河の八橋の杜若が、研究者の間では原種として大事に扱われているそうです。
亀岡に、そこの研究所から原種を分けて生息させています。(写真)