昨日は名古屋宝生会定式能で能「善知鳥」を勤めました。
お陰さまで無事に終了、本年の名古屋宝生会定式能も終了となりました。
来年もより充実をはかって、運営メンバー(ほぼ能楽師)も努力中です。
来年は1月22日(日)能「小袖曽我」内藤飛能「小鍛冶」白頭 玉井博祜ほか、
よろしくお願い申し上げます。
さて、迫ってまいりました宝生別会「融」笏之舞につき、
いろいろ御案内させて頂こうと思います。
この「笏之舞」の小書(特殊演出)は、
昭和39年の宝生別会で高橋進師(人間国宝)がなさって以来の演出です。
お恥ずかしい限りですが、この小書きが珍しく大事であることは
承知していたのですが、これほど大変なものとは
認識しておらず・・・。
しかしそれは大方の認識もそうであり、だから私のような若輩に
付いてしまったのですから・・・。
高橋進師の遺された資料を悉く拝見し、
太鼓金春宗家の伝書も拝見し解読し、
笏の作法は神道と宮中祭祀の方にも教わり、
笏も2本買い求め・・・
相当に研究もいたしましたが、調べるほどに大変になってきました。
金春惣右衛門家伝書によりますと、
江戸文化年間に宝生大夫弥五郎が惣右衛門家を訪ね、
久しく笏之舞が出ておらず、「翁」と同様とのみ口伝あるが、
如何なるものかと尋ねると、
惣右衛門(当時惣二郎)は扇で膝を打ち、実演してみせ、
大夫は「承知、安心した」と理解したとあります。
恐るべきやり取りであります。
相当に複雑な演奏であり、およそ1度切り聞いて安心するようなものでは
ございません。
ただただ敬服申し上げるばかりです。
その直後、大夫の子息が「御流儀に定める故」と
手附け(詳しい演奏書付)を所望し、これを取得します。
座付きという、「座」に所属する流儀で打合せされており、
宝生は笛は一噌、小鼓は幸清、大鼓は金春(ただし廃流になり葛野になる)、
太鼓は金春で決めごとがなされています。
今回は太鼓以外は座付きにあらず、それぞれ大変な状況下での
舞台となりました。
ただし、惣右衛門伝書には「宗家筋は流儀に関わらず」とあり、
偶然、今回の大家筋のメンバーで良かったなと・・・。