186 散尊 無事終了 感謝申し上げます

お陰様にて、21日のミルトン国際シンポジウム東京大会記念「新作能 散尊」は

盛況に、無事に終わりました。


新作の苦しみ、危うさ、楽しさ、恐ろしさ、様々を今回も勉強しました。

また、初めて新作に参加した若手達も、必ずこの経験を活かしてもらえると思います。


新作の特別な過程や不安定さや戸惑いがあったにせよ、

自己の総力を用いて勤めることは古典も同じこと、

当日の楽師達は気が揃い、充実しておりました。


提供する立場でも、ご覧いただくお立場でも、これは当たり前の話、

しかし40歳前後はそれを、ほんの少し忘れかける年代かと、

いや正確に言うとわざわざ意識しなくなる年代かと、我が身にも照らし、

改めてひとつの舞台を全員でつくり上げる大切さ、楽しさを、思ってくれたかと信じたいところです。


新作と言うのは江戸時代以前は当たり前に行われていた訳です。

私は新作の専門家では勿論ありませんが、

新作を勤めるには、能の理論的な事、あらゆる約束事、観客からどのように見えるか、

面・装束の合わし方、囃子事の約束、全体の構成、音楽的な組み合わせの可能性を求め、

流儀のみの演出にこだわらず、しかし、流儀の目指す型を基本に・・・

などと、きりもない道程あり、能というものを改めて深く考えることになります。


これが古典をやる上でも、大変な勉強になります。


新作をやらずとも、これらの勉強はできていなければなりませんが、

実際に節を付け、型をこしらえ、囃子事を組み立て、演出まですると、相当な勉強になります。


当日の舞台環境、観客層、催しの趣旨、出演メンバーの特徴まで考慮して

つくり上げ、調和を目指します。

普段の日々の舞台でここまでやるのは、なかなか難しくとも、

役者の当然の努力と思い、近づけねばならないと強く再認識いたしました次第です。


そもそもこの能の構想を40年前から抱き、実現なさった

シンポジウムオーガザイナー佐野弘子青山学院大学教授はじめ、

命である台本を見事にお作り頂いた高橋睦郎先生、プロデュースの土屋圭一郎先生、

素晴らしい出演の面々、ワキのミルトンと共に能を観ていただいたお客様に

深く深く感謝申し上げます。


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