薪能大ブームの頃は、年間で全国100箇所以上で行われていた薪能、
いつの間にか夏場の風物詩の様に考えられ、なんと夏の季語になってしまいましたが、
本来、薪の神事である訳で、そのルーツはなんと1150年前より続く、
興福寺薪御能であり、興福寺お水取りの修二会の儀式で行われたものです。
従って、寒い時期に執り行われたものでしたが、
戦後に保存会が発足して主催するようになってから、観客の事も考えて5月になりました。
ですから、奈良では5月の季語となっています。
長年、11日・12日と決まっておりましたが、実はこれには神事・仏事としての意味は無く、
たまたま四座(観世・宝生・金春・金剛)の話し合いで最初に決まった日が
踏襲され続けただけの事だったらしく、一昨年からは第3金・土曜日と変更され、
平日お勤めの方にも、ご覧いただける曜日となりました。
本年は私は二日目、土曜日の留め(最後の出番)となり、
初番は観世喜之師の「巴」、茂山家の狂言、そして私の「阿漕」です。
昼間は春日大社で古式に則って、能も演じられます。
特に初日は、能ができる前からの3人で演じる「翁」もあります。
薪御能は17時半から、般若の芝跡で開催されます。
運慶の父、康慶の作った仏像がある南円堂側です。
南円堂も1200年祭とか、北円堂は運慶の仏像ですが、
この二つの仏像のポスター広告はJR駅でよくお見掛けと存じます。
「父、康慶。子、運慶。」
能楽の世界では、
「父、観阿弥。子、世阿弥。」
の680年、650年に当るとか。
大昔の状況に、可能な部分は近づけて欲しいと仰る興福寺のご意向にも沿いながら、
素朴で大らかな舞台環境の下、タイムスリップしていただけたら幸甚です。
興福寺薪御能の御案内詳細
いつの間にか夏場の風物詩の様に考えられ、なんと夏の季語になってしまいましたが、
本来、薪の神事である訳で、そのルーツはなんと1150年前より続く、
興福寺薪御能であり、興福寺お水取りの修二会の儀式で行われたものです。
従って、寒い時期に執り行われたものでしたが、
戦後に保存会が発足して主催するようになってから、観客の事も考えて5月になりました。
ですから、奈良では5月の季語となっています。
長年、11日・12日と決まっておりましたが、実はこれには神事・仏事としての意味は無く、
たまたま四座(観世・宝生・金春・金剛)の話し合いで最初に決まった日が
踏襲され続けただけの事だったらしく、一昨年からは第3金・土曜日と変更され、
平日お勤めの方にも、ご覧いただける曜日となりました。
本年は私は二日目、土曜日の留め(最後の出番)となり、
初番は観世喜之師の「巴」、茂山家の狂言、そして私の「阿漕」です。
昼間は春日大社で古式に則って、能も演じられます。
特に初日は、能ができる前からの3人で演じる「翁」もあります。
薪御能は17時半から、般若の芝跡で開催されます。
運慶の父、康慶の作った仏像がある南円堂側です。
南円堂も1200年祭とか、北円堂は運慶の仏像ですが、
この二つの仏像のポスター広告はJR駅でよくお見掛けと存じます。
「父、康慶。子、運慶。」
能楽の世界では、
「父、観阿弥。子、世阿弥。」
の680年、650年に当るとか。
大昔の状況に、可能な部分は近づけて欲しいと仰る興福寺のご意向にも沿いながら、
素朴で大らかな舞台環境の下、タイムスリップしていただけたら幸甚です。
興福寺薪御能の御案内詳細