226 能面の魂とは? 日経新聞 コラム春秋

能面は我々シテ方能楽師にとって、有形の伝承物では能舞台、能装束、型付などとともに、

いや、その中でも最も大事な位置を占めるものでありましょう。


先日、薪能ルーツの興福寺薪御能で勤めた「阿漕」に使用した河内作の痩男を、

観能にいらした記者の方に御見せして、色々お話したら、

思いがけず記事にしていただきました。

日経新聞「春秋」


我々の思いをよく伝えて下さった名文と、感謝しております。


伝承者としての重い役目を持つ能役者、

有形無形の様々な伝えもの、

一生演じない、身につけない物も含まれていながら、

伝えなければ、なりません。


能面は舞台で使うために作られ、舞台で使って生き続けます。

幾世代もの命が詰まっている・・・。

それを残してくれた先人に感謝して、己も努めを果たさねばなりません。


文中、「美術館の能面が死んでいる」とは、

美術館の能面が意味のないものとの表現と思われる方もありましょうか?

私は決してその様な事は、考えても居りません。

字数の制限下で書かれた方も、同じでありましょう。


私の考えを正確に表現するなら、「眠っている」でしょうか。

温度、湿度、照明など、科学的に最適な環境で保存されている能面が、

傷んでしまう不思議、の話。


しかし、その逸品も、見る方によっては活躍した姿を想像できましょう。

そして、場合によっては専門の修復家が修復して美しさを取り戻すことも可能でしょう。

更には、たまには舞台で使用する機会があるものも、可能性としてはあります。

豊橋魚町の保存会所蔵の吉田藩旧蔵逸品を拝借して、

第1回、第4回の吉田城薪能で使わせていただいた時には、

能面が眠りから覚めるのを感じました。中から確かに「何か」が出てきて、

その体験は生まれて初めてのものでした。


ですから「休眠中」と、考えております。

しかし、そのまま「永眠」しては、やはり勿体無いこと。


演者と一体化したものを観るのと、ガラスの中の物を鑑賞する違い、

舞台で使うもの、使わないものという意味であり、

そもそも、「目的」が違うのですから、悪い意味もありません。


美術館、博物館、収集家の大変な思い、努力も存じて居ります。

ですから、感謝もしております。

その上、東京芸大美術館「漱石展」にも、当家の能面「姥」が展示中です。



このことは誤解して頂きませぬよう、くれぐれも、宜しくお願い申し上げます。


使い続けることによって、傷まずに、生き続ける、不思議、しかし成程・・・

という話でございます。


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           photo by  akiko sato