昨日は京都綾部で能「難波」を初演してまいりました。
この曲は、稀曲・難曲、出来れば勤めないで済めば・・・などと思うような曲で、
全くケシカラン心構えですが、主催者のご希望で選曲為された時には、
大変なことになった!とさえ考えました。
何しろ、130分の長大な曲、殆ど観た事もなく、関西宝生では少なくとも戦後には出ておらず、
しかし、勉強するうちに、大変良い曲で、面白さも多々あり、
長大なゆえに出ないというだけの事、所謂「悪尉楽」という、悪尉という
恐ろしい老人の面を掛けて「楽」という舞をゆったり舞う曲趣ですが、
宝生では明治初期に「難波」を残してこの悪尉楽物は皆、廃曲となりました。
つまり、難波のみ残すほどの、名曲であった訳です。
その意味もよく解りました。
シテの百済から来た王仁は、仁徳天皇が難波の皇子と言われ、
中々即位出来なかったときに
「難波津の さくやこの花冬ごもり 今は春辺と さくやこの花」
と、詠んだ人物。
冬を蕾で堪え、春一番に花を咲かせる梅の花に、皇子をたとえた歌。
ツレはコノハナサクヤで、後半は天女の舞を舞います。
さらに面白いのは、大蔵流狂言のみの演出になりますが、
中入りでカッコ台というカッコを取り付けた、雅楽での太鼓の作り物を
舞台上に持ち運び、笛を吹く真似をして舞う、という特殊な舞もあります。
中々ユニークで、しかしおそらく古曲であろう風情も感じられる名曲でした。
たいそう、疲れましたが・・・感謝。
さて、明日は豊田能楽堂で「俊寛」です。
この曲は、稀曲・難曲、出来れば勤めないで済めば・・・などと思うような曲で、
全くケシカラン心構えですが、主催者のご希望で選曲為された時には、
大変なことになった!とさえ考えました。
何しろ、130分の長大な曲、殆ど観た事もなく、関西宝生では少なくとも戦後には出ておらず、
しかし、勉強するうちに、大変良い曲で、面白さも多々あり、
長大なゆえに出ないというだけの事、所謂「悪尉楽」という、悪尉という
恐ろしい老人の面を掛けて「楽」という舞をゆったり舞う曲趣ですが、
宝生では明治初期に「難波」を残してこの悪尉楽物は皆、廃曲となりました。
つまり、難波のみ残すほどの、名曲であった訳です。
その意味もよく解りました。
シテの百済から来た王仁は、仁徳天皇が難波の皇子と言われ、
中々即位出来なかったときに
「難波津の さくやこの花冬ごもり 今は春辺と さくやこの花」
と、詠んだ人物。
冬を蕾で堪え、春一番に花を咲かせる梅の花に、皇子をたとえた歌。
ツレはコノハナサクヤで、後半は天女の舞を舞います。
さらに面白いのは、大蔵流狂言のみの演出になりますが、
中入りでカッコ台というカッコを取り付けた、雅楽での太鼓の作り物を
舞台上に持ち運び、笛を吹く真似をして舞う、という特殊な舞もあります。
中々ユニークで、しかしおそらく古曲であろう風情も感じられる名曲でした。
たいそう、疲れましたが・・・感謝。
さて、明日は豊田能楽堂で「俊寛」です。
松野 奏風 画 能 「難 波」