いつの間にか気が付いたら自分にも命がありますが、
こんな有難いことはありません。
いらない命など絶対に世には無い筈です。
生まれてきた目的が在る筈です。
生かされている間が使命なのでしょうか。
しかし突然奪われてしまうと、周りも本人も(たぶん)
たいそう驚き、哀しみ、戸惑います。
度重なる同年代の同志の訃報に接するのも修行でしょうか。
「お待ちしています!」という署名入りの招待状を開けたころに、
無常にも、その筆者は亡くなっていました。
同年で夏場に親睦をはかる「獅子の会」を・・・と計画していた矢先であり、
親子三代の獅子(石橋大獅子)を拝見する筈の日が葬儀になるとは残念の極み。
翌日には、祖父孝一郎からのお弟子であり宝生会専務理事も務めた高弟が
94歳の大往生を遂げられました。
子どもの内から、親子三代で大変お世話になりました。
それぞれ「天寿を全うされた」と思いたいです。
謹んで哀悼申し上げるとともに、いのちの尊さを噛み締め、
しっかりと生きていくことの大事さを痛感する次第です。
重い話が続きましたので、先日三島の稽古場前で撮った
カルガモ親子の写真を・・・
いのちは絶え間ないものですね。