2012年7月アーカイブ

183 慶祝

宝生流能楽師の後輩である内藤飛能(とびよし)君が

素晴らしい披露宴を開催、素晴らしい伴侶を披露してくれました。


彼は東京芸大や宗家内弟子の後輩であるだけでなく、

彼の祖父上の内藤泰二師は名古屋の能楽界の大貢献者であり、

そのお人柄から人望もあつく、私も子どもの折から可愛がっていただいたものです。


能の道を継がれたことに加えて、亡き祖父上も如何ばかりか御喜びであったことでしょう。


暫くは東京で活躍するのでしょうが、名古屋の地で益々普及にむけて

若手の先輩たちと力を合わせて頂きたいものです。

「使命感」を持って。




新婦の歌子さん(旧姓和田様)は優秀なバイオリニスト、

飛クンからは写真や馴れ初めは伺っていたものの、笑顔の素晴らしい花嫁姿を拝見して、

皆一同に驚き、慶び、羨ましがり?、やはり驚きが一番強かったかも・・・。


お開き近くに、新婦からバイオリン演奏のおもてなしあり、

優雅な気分に浸りつつ、たいそう感服いたしました。


末久しく、御多幸祈念申し上げます。

naitoh.jpg




今更申すまでも無いことであります。

世に子どもがいる限り、人々は諦めないで頑張るのでしょう。

先日、港区立青山小学校に御邪魔してきました。

もう、25年ほど毎年この時期に伺っています。

最初の頃の子どもたちが親になり、その子たちに指導するという事になってきています。


全国的に7月の頭位に、小学六年生の社会科授業で室町時代を勉強することを切っ掛けに、

「室町体験」プログラムというものを続けて下さっています。


御承知の如く、能・花・茶・書の大成は室町期であり、序破急原理に基づくものです。

もっとも、それら全てはもっと古くから存在しておりますが・・・。


毎年20人ほどの6年生と、次年の参考?に5年生も部分参加します。

今年は全員で謡の稽古と能面着用体験をしました。

終了後には給食をいただくのも楽しみの一つ。

でも、子どもたちの反応が一番の楽しみです。

可愛い子たちでも、容赦はしません。それが愛情と思っております。


本日、かわいい手紙と写真をいただきました!


何かの良さを感じて、一生の思い出となるように、もっともっと触れてくれるように!!


希望と期待を持ち続けたいと思います。


2012 aosyo.jpg



明日は七夕、残念ながら今年も雨模様でしょうか・・・。

本年は天体ショー様々でも、七夕に天の川が見えないのは残念。

そういえば何方かが昔、「年に1度の逢瀬、嬉し泣き故に」と仰ったような。


その七夕の明日、宝生会が主催する年間2度の女流能楽師がシテを勤める「文月能」がございます。

2月には「如月能」があり、流儀を母体とする組織が開催する女流能は宝生会が唯一かと思います。

東京のみならず、金沢・大阪からも女流が助っ人、いや勉強に参上、

4番のうち2番は地謡も女流のみ。

我々も長年御手伝いしていますが、昔は地謡を2番謡っていましたが、それを考えると女流も増え、

各地との交流も盛んになり、女流のみの能は大変素晴らしく、一昔前は考えにくかった訳ですから。


アマチュアの能楽愛好家の方は60%以上が女性と言われ、したがって女性の能楽師がどのように

演じるか、大変ご興味も持たれ、 また、応援して下さっているのではないでしょうか。


20120707 fuzuki.jpg


続きまして、明後日8日は毎年7月第2日曜日に開催している、九州宝生会主催の普及能。

2009年に始まり、第1回目は私が「葵 上」梓ノ出を勤めましたが、

普及目的にとても良い企画がなされており、

第1部はワークショップ、様々な解説に経験型、謡も謡っていただきます。

第2部は鑑賞、毎回テーマを持って、舞囃子・仕舞・能が演じられます。



本年は「木曾義仲」をテーマに、「実盛」「兼平」そして能は「巴」。

私は解説と地謡でお手伝い致します。


九州宝生会主催公演は年間2度しかありません。


近いうちに、公演数が増えるように皆で努力中、応援何卒宜しくお願い申し上げます。


kyusyu housyou-fukyu2012.jpg

七宝会、お陰さまで無事、盛況に終了致しました。有難うございました。


さて、既にチラシをご覧になったかたもあるかと存じますが、

8月21日19時より、国立能楽堂で国際ミルトン学会シンポジウム記念、

新作能「散尊」を上演予定、演出・節付け・主演を勤めます。


「おしらせ」に詳細御案内しておりますが、

ストーリーはおよそ以下の通りです。

偶像ダゴン神を崇拝するペリシテ人の支配を受けていた

イスラエルのダン族のヒーロー、サムソン。 

彼は怪力無双で、たびたびペリシテ人に脅威を与えていました。 

彼を捕えようとする大軍も全く歯が立ちません。

実は産まれて一度も剃ったことの無い「髪」こそが力の源でありました。

ペリシテ人は美しい遊女デリラを使い、弱点を探らせます。

美貌に溺れたサムソンは、ついには妻となったデリラに

自らの弱点を白状するのでした。

 

眠っている間に髪を剃られて、安々と敵方に捕えられたサムソンは、

牢獄に繋がれ、両眼をくり抜かれ、石臼を引く有様となります。

本当はサムソンを深く愛してしまったデリラは後悔して

サムソンに許しを乞い、手助けをしようと言います。

祭りの慰み者に広場に引き出されたサムソンを、

彼の所望により神殿まで連れて行きます。


サムソンは今は髪も伸び、力を取り戻し、

神殿を破壊して敵方諸共に憤死するのです。

 

ミルトンはギリシャ悲劇の様式で詩劇「闘士サムソン」として

作りました。

新作能「散尊」では、ミルトン自身がワキの役割

(但し盲目の役の為、シテ方が演じる)となり、

その書斎にサムソンとデリラの霊が現れるという設定です。

 

間狂言はミルトンの世話をする娘。

旧約聖書のサムソンの節、士師記16章を読み語る部分は、

「奈須与市語」の演出を用います。

 

どうぞお楽しみに!