遅なわりましたが、つづき・・・
前回、
「能楽堂に来ていただく方を増やすには、能楽堂催しの充実をはかるだけでは限界がある」
と申しました。
勿論、その催しのコンセプトが受け入れられ、
広報などの努力も、舞台上の充実もちゃんとあれば、
お客様の入りも、大分に期待できるでしょう。
しかし、それは「ひとつの公演が成功した」だけであって、
大多数の催しにおいては、ほぼ大成功は少なく、
ましてや催しを増やしていくことには、繋がり難い状況です。
今必要なのは、能楽堂以外の能のイベントの充実をはかり、
そこを門戸として能楽堂へ引っ張ってくること、と思います。
1100年前から行われている「興福寺薪御能」をはじめ、
全国で開催される寺社仏閣、城郭、公園、ビルの谷間等々・・・での
野外能。
劇場や屋内特設ステージでの演能。
有難いことに、能楽に興味津々な方は、少し前よりも増えています。
特に若い方に多いのです。
しかし、切っ掛けが中々つかめない方が多いのも事実です。
過去の反省を踏まえて、我々側の壁を取り払って
ワークショップを行い、講座を行い、様々努力してバリアフリーでいても、
多くの方が未だに壁を崩さないでいらっしゃるので、
「能楽堂に行くのはちょっと・・・」という状況です。
能楽堂意外での催しで興味を抱いた方に
能楽堂へお越しいただく切っ掛けになってくださる為には、
その催しの充実は勿論ですが、
「最高の環境は能楽堂である」というアピールをすることだと思います。
新作「能」を作るならば、奇をてらわず、基本的な能の約束事は
崩さないほうが良いと思います。
将来の能の方向性・可能性を求めた催しではないはずですから、
本来の「能楽」の誤解を生じることになり兼ねないでしょう。
それ以外で能の手法で能の役者がやるならば、
「能」ではなくて「能舞」とでもすべきですし、
その上で、やることに意義があるならば大いにやれば良い事でしょう。
いずれにしても、門戸を広げて切っ掛けを多くすることが最大事であり、
組織的にも急務だと確信します。
「本物の能が観てみたい」
「古典が観てみたい」
「能楽堂で観てみたい」
「能の真髄に触れてみたい」・・・
となっていただければ有難いことです。
1000年以上の時空を行き続けた能楽を、
たかだか1人間の数十年の担当期間に、
廃れさせたり、滅びる方向性をつけては、
先人に、国家に申し訳ない、というものであります。