2009年12月アーカイブ

例年のように「激動」の1年が過ぎようとしております。

良い事も、悪いことも、大きなうねりを感じました。

 

年末恒例の「今年の10大ニュース!」など、各ジャンル別でも

追いつかない話題に溢れる年でしょう。

我々個人的な生活にも多大な影響を及ぼす変動が、

いろいろありました。

 

特に「必殺仕分け人」などと名づけられた方は、

恨まれて気の毒な気もします。

誰かがやらねばならなかった「仕分け」でしょうから、

我々も痛みを覚悟するのは致し方ないと思います。

 

が、「費用対効果」が臨まれないものを切り捨てていくばかりが、

正しい選択なのか、いや、そうせざるを得ないのか・・・?

 

「文化・芸術」に対する日本国の取り組みが弱贅であるのは前からですが、

特に伝統文化は「自分達でなんとかせい」では潰れてしまうところが殆どです。

 

国家の最後の切り札、国民性の証でもある「文化・芸術」が途絶えてしまっても、

とりあえず仕方ない「仕分け」なのでしょうか。

日本の伝統が2つ、3つなくなってから「モウシワケナイ」では

遅すぎます。

 

オーケストラだって、いったい幾つ残れるか・・・。

 

国の助成システムは、先進国の中でも最低レベル、

近隣の国と比べても数分の一という有様です。

「普及」「人材育成」「教育現場への導入」といったものが

極めて困難になっている現況が、よりマイナスになるという事です。

 

組織的な陳情なりも多方面からしていますが・・・

 

お国に頼ってばかりでは勿論いけない訳ですが、

国家戦略としても日本文化を見直し、活かしてもらいたいものです。

 

そして、甘えることなく我々「伝統文化人」は切磋琢磨し、

危機感を持ち、前へ、上へ、進み続けて参らねばなりません。DSC_97840001.jpg

 

来年は皆々様にとりまして良い年でありますよう、   

心よりお祈り申し上げますとともに、                    

本年賜りましたご厚情に、感謝申し上げます!

新聞でも告知がありましたように、今年9月に逝去なされた佐野萌師を偲ぶ会が、

20日都内ホテルで催され、大勢の方が参集なさり、故人の威徳を称え、偲び、お別れをしました。

 

受付のお手伝いをしていたために殆ど会場には入りませんでしたが、合間に祭壇に向かって

お参りさせていただいた時、その遺影を拝して、今更ながらに信じられない気持ちでした。

 

初めて舞台をご一緒させていただいたのは小学4年生でした。

実家の香里能楽堂での七宝会定期能で、「船弁慶」の子方で

お相手させていただいたときでした。

いつでも着物姿、大阪にいらした時もそうなので 幼心に(身体は既に大きかったですが)

「東京の先生は、ちゃんとなさっているんやなあ」と思ったものです。

 

その後、上京して入学した東京芸大でも大変なお世話になりました。

もちろん、教官(当時助教授)と学生ではありますが、この世界ですから

「師匠」として様々なことを教わりました。

東京で修行した宝生流能楽師の大多数が佐野師に教わっています。

もともとの師や宗家にも習いながらですが。

 

「公務」として、学内では能役者にしては珍しく、常に公正であられました。

何事も、どなたに対しても、「馴れ合い処理」にせず、毅然とした、

それでいて丁寧な対応を貫かれていました。

それは、学外でも基本的な理念であられたと思います。

 

宝生英雄宗家の内弟子修行をしながらの大学通いは決して楽ではありませんでした。

英雄宗家に毎日叱られ、芸大では佐野師にギョロっと睨まれお小言を頂戴する日々が続き・・・

もとはといえば全部自分が悪いのですが、1学年下の甥であられる登君もご同様の状況で、

いや、身内にはことに厳しい方でしたから、彼はもっと辛かったでしょう。

当時邦楽科での「遠足」があり、年に1度、洋服姿でニコニコとされる師を見て、

束の間ホッとしておりました。

 

なんとか芸大を卒業し、数年後に内弟子も卒業・独立し、「教授」と「助手」という形で

お仕えするようになりました。

息子のような年の私なんぞにも「辰巳さん」「お願いします」とおっしゃって接する御方でした。

すぐ上の先輩からも「マンジロ~ッ!」と言われる世界なのに。

26歳の若造に大人として接するということは、自立を自覚させるということでもあったのかと、

人を育てることの深さをも教わった気がしました。

 

5年間助手をしたあとも、東京・名古屋・大阪・九州の定期能でご一緒し、

父が亡くなったあとは、初めて舞台に掛けるもののご指導を仰いでおりました。

年に2度、鎌倉のお宅で芸大関係者の集まる「若葉サロン」では楽しい時間を

過ごさせていただいきました。

 

「満次郎の会」立ち上げのご相談をしたときも丁寧なお手紙を頂戴し感激したものです。

「やるからには良い催しをせよ」というお言葉をいただき、

当日は仕舞を舞っていただく予定でした。

 

能を舞った1週間後に入院して数日で亡くなると言う、

周りも、おそらくご本人さえも意外な「ご最後」で、現実として受け留め難い事ですが・・・

適切な表現かどうか悩みますが、元来の「潔さ」の感じられる御舞台と似ていたような気もします。

 

師は和英宗家ほか大勢のプロを指導なさっていました。

しかしいつまでも戸惑っているわけには行きません。

教えを忘れずに精進したいと思います。

 

本年は親しい方の訃報に数々接する、哀しい年でもありました。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本サイトからではございませんが、

本日より配信の満次郎のメールマガジンが始まってしまいました。

「なるほどがってん・・・」の西さんにのせられて、ついつい。

 

しかし、能楽に少しでも興味を持っていただくために、

がんばっていきたいと思います。

宜しければ登録してやってください。

 

毎週金曜日に配信でございます。

 

満次郎メルマガへはこちらから

 

 

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皆様、メリークリスマス!でございます。   

 

お知らせにもご案内しています様に、先日来ご紹介している、宝生流流友の西久美子氏のサイト、

「なるほどがってんポッドキャスティング」で、12月24日から「今月の宝生」が始まります。

 

東京の宝生能楽堂で開催される、宝生会主催公演「月並能」「五雲会」「別会」などから、

今月の1曲をチョイスして、初心者の方を対象にレクチャーさせていただきます。

その後、その主役の方にご登場いただき、いろいろお話を伺います。

 

ご鑑賞の手引きとして、また、能楽の豆知識増強のために、是非お聴き下さいませ!

「なるほど がってん ポッドキャスティング」 

 

14 住所:新幹線

「住所は新幹線です」なんて冗談を飛ばすくらい、

自宅のベッドで眠る時間より、新幹線に乗る時間が多い有様です。

 

実家の香里能楽堂での定期能出勤や、お弟子の稽古、東海道沿いの

お稽古や催しで、週に3~4回は乗ります。

 

本日も、大阪から東京の「五雲会」出勤のため乗車中です。sekigaharaSN3K0026.jpgのサムネール画像

 

昨日あたりから大変に冷え込むと思ったら、関が原は例年の如く

雪景色で、徐行運転中。  右写真

 

どんよりして、寒々しく、車窓にはスプリンクラーの温水があたり、

暗~い感じです。 いつもこんな感じの米原辺りは、大抵眠ってしまうのですが、

何故か目が冴えています。

昨日は実家の香里園で鼓のN氏と、遅くまでご一緒したにも関わらず・・・。

 

雪景色は名古屋まで続いていました。

 

そのうち5つも新幹線の駅がある静岡県に入り、

mt.fuji.syasouSN3K00310001.jpg冬晴れの美しい富士が目に留まりました!

 

週に4度ほど見ますが、ここまでなかなか綺麗な富士山は

珍しいです。

 

  本日五雲会終了後は、また新幹線にご厄介になり、熱海の稽古です。

もっとも、温泉も宿もなし、片道40分ですから・・・

 

 

 

 

13 華燭の典

我が宝生流の若き宗家、宝生和英師が、

kazuhusawed.SN3K00230001.jpg東京日本橋のホテルで15日に めでたくご成婚なさいました。

 

新婦雪恵様は、まさしく大和撫子であられる様子で、列席者一同心より

お慶びを申し上げました。

 

将来、宝生流を、能楽界をリードしていく新郎と、

支えていかれる新婦におかれては、希望と不安で一杯のご心境でしょう。

 

乾杯の音頭をとられた長老の今井師は

「長生きも芸のうち、役者は長生きしなきゃ、奥さんは旨いもの食べさせて、

旦那を長生きさせなきゃ!乾杯 !! 」と・・・。

米寿で能を舞われる今井師は、特大ステーキをぺろりと召し上がる御方で、

和英宗家が65年後に同じように召し上がるとは思えませんが・・・

兎に角にも奥様が最強の健康管理助っ人でいて下さるに違いないでしょう。

 

野村萬 能楽協会理事長が、ある方の言葉を引用しておっしゃった

「木には『葉』があり、それを支える『枝』があり、それを支える『幹』があり、

それを支える『根っこ』があり、でも根っこは見えない。根っこを大事に・・・」

というお話、心配無用とは思いますが、これは是非ともお忘れにならないで頂きたいものです。

 

宝生流、あるいは能楽界を支えているものは様々あれど、

一番強力で不可欠なものは「根っこ」であり、見えない、見えにくい存在なのかも知れません。

我々も微力ながら精一杯お力になりたいものです。

 

また、もう1つ「根っこ」の意味は、自分自身の中にもあるのでしょうか。

自身を支える根っこ、つまり土台をなす基礎的な力、これも大事に違いありません。

 

さらには、長い能の歴史の中に先人達がなさってこられた様々なこと、

これこそ「伝統」であり、樹齢数百年を支える「根っこ」であるに間違いありません。

 

たくさんのご来賓より、心に残る暖かいご祝辞をいただき、流儀関係者としても

有難い限りでございました。

 

思えば、私と同年代以上の楽師は四代に亘って宗家にお世話になる訳です。

「ライバル心」と「調和の心」の絶妙なバランスで成り立つ世界、

「超マイペース」な個人主義でも、「へんてこ」な民主主義でもなく、

よき連帯感を持って発展して行きたいものと祈念した次第でございました。

 

幾久しくお幸せに!!!

 

 

12 七宝会を想う

「七宝会」とは祖父の孝一郎が興した、関西唯一の宝生流の定期能主催団体です。

本年も一昨日12日に今年最後の定期能を終えることができました。

ご後援の皆様、関係各位には深く感謝申し上げます。

 

孝一郎は昭和初年に代々の住居、金沢石引より大阪に移り、

当時ほぼ宝生流の不毛地であった大阪の能役者を集め、

7人で「七宝会」を創設、当時日本一と言われた大阪能楽殿建設に尽力し、

東京より家元をはじめ松本長、野口兼資、桐谷正治、近藤乾三各師を招き、

定期能を主宰しました。

 

また、中国大連などにも度々出掛け、流儀初の海外能楽公演団を組織して

大連能楽堂などで公演もしました。

前述の先生方のほか、若宗家(英雄師)、野村蘭作師、髙橋進師、大坪十喜雄師、

本間広清師、最若手は父の孝。

そのほかワキは漱石の師でもある宝生新師、弥一師、狂言は先代茂山忠三郎師、

囃子方の最若手は父と同年で先日亡くなられた藤田大五郎師でした。

 

戦後帰還した父があとを継ぎ、香里能楽堂が昭和42年にできてから今日まで

定期能を続けております。父は亡くなっております。

 

孝一郎は入浴中に私とそれほど変わらぬ年齢で急逝し、東京で修行中であった父は

急遽大阪に戻り、すぐに召集されて出兵しました。

戦地から葉書で母親に「お金に困れば装束・能面類を処分なさってください」と

送ったそうですが、帰還後第一声は「お母さん、面は?」だったとか。

祖母はキッチリと面を守っておりました。

 

我々が1000年以上続く能楽を伝承していく1コマであるだけではなく、

この会を存続していく使命も大変重いものであります。

大げさでなく「存続の危機」が続く七宝会ですが、どうぞ今後も

倍旧のお力添えを賜りたく存じます。

 

孝一郎の66回目の命日に・・・

 

 

来新春は例年には無い催しで能を勤めさせていただきます。

 

まずは10日の日曜日と成人の日の11日、「新春若草能」。

 

毎新春、奈良の新公会堂能楽堂で開催される人気の催しで、

五流の輪番で勤めておりましたが、

明年は平城遷都1300年の記念として大和四座(観世・金春・宝生・金剛)揃い踏みで、

2日間の特別公演となります。

 

奈良に所縁の曲目を集めていますが、私は11日に「国栖(くず)」を致します。

既にチケット残席僅かの様ですので、お早めに・・・

 

続いてお知らせにもありますとおり、31日国立能楽堂で「のうのう能 特別公演」に於いて

「船弁慶 後之出留之伝」を勤めます。

 

懇意にさせていただいている観世喜正さんが主宰する「のうのう能」。

普段能楽の普及に尽力なさる彼は、素晴らしい才能とアイデアの持ち主です。

まずもって「のうのう能」というネーミングなんて・・・!

関西モンとしては、してやられた感であります。

「のうのう」は「KNOW能」という意になっていますが、

能に於いて幕内から舞台に呼びかける台詞に「のうのう(オイオイとかネエネエ)」というのが

ありまして、上手く掛けたものです。

 

また、当日お客様に配布されるパンフレットなども、

大変解り易い構成になっており、これは奥方の功も大きいようです。

 

「観世&宝生 IN 壇ノ浦」と題して、

観世 喜正 「碇潜(いかりかずき)」  辰巳満次郎「船弁慶」後之出留之伝

をお送りします。

いずれも平家が滅んだ壇ノ浦での話、知盛がシテです。

 

この催しの楽しみ方は様々あります。

・観世流と宝生流の「謡」や「型」の違い、主張を見比べる

・同じ主人公で2つの物語を味わう

・初心者向けの充実したパンフレット

・日本唯一の座席備え付けの字幕システム

などなど。

 

催しとして大事なのは、「催しのコンセプトがハッキリしていて、充分それを楽しめる」

ことと思います。

お楽しみください!

12月4日の第1回「満次郎の会」は無事に大盛況に終了いたしましたこと、

皆々様のお力添えのお陰と、深く感謝申し上げます。

 

当日は前後日とは違ってよいお天気!

朝10時より宝生能楽堂に入り、ロビー企画展示の設営立会いを開始いたしました。

「ロビー編」でもご紹介しましたとおり、

いけはな・写真・日本刺繍・書・和紙とあかりのオブジェ・能面、

それに「満茶屋」・・・と、それぞれの作家やスタッフの面々が続々と集結して、

宝生能楽堂のロビーはいまだかつてない「大展示会場」になって行きます。

 

優秀なスタッフのお陰で、滞りなく仕上がり、15時頃にはまるで「ミニ美術館」の様に

素晴らしい空間が出来上がりました。

記録写真ができましたら、またご覧いただきましょう!

 

ピロティの小灯篭のセッティング、受付、見所、楽屋など開場準備も万端整い、

晴天とはいえども寒いなか既にお並びのお客様のために、

15分早めて開場しました。

 

身内の役者やスタッフとともに私もご来場のお客様をお迎えさせていただきました。

初めて能をご覧いただく方から、私の舞台を初めてご高覧いただく方、

いつもおなじみの方、なかには10年、20年ぶりの方々など・・・

個人の会をするならば、直接ご挨拶をさせていただきたいものです。

 

普段はロビーは比較的ガランとしていて、お客様見所でお待ちになっているものですが、

この日はロビーはかなり込み合っておりました。

一夜限りの空間でしたが、お客様も我々も、能楽堂スタッフまでが

「このままにしていて欲しい」というくらい。

 

さて、都合により急遽増田正造先生に代わり私が解説をさせていただくことになり、

増田先生の解説を楽しみにされていた皆様には申し訳ございませんでした。

いつもながらの砕けた解説で恐縮でありましたが、

「お陰で緊張が解けてリラックスできたよ」と言うお声もあり、ホッとしております。

 

その後、舞台も進行し、蝋燭の火入れも無事に終了、

「邯鄲」もなんとか舞いおさめ、感無量でありました。

 

舞台上から感じましたのは、素晴らしい出演者、優秀なスタッフ、ご後援の皆様への感謝に並び、

お客様にいかに大事に舞台を観ていただいたかを、痛感いたしました。

つまり、お客様が素晴らしかったとの感謝でございます。

 

本当に辰巳満次郎は幸せ者だと、感涙にむせぶばかりです。

 

今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

神に捧げる精神でいけられたお花をご覧いただきましたら、

左側の壁面に佐藤晶子氏による「満次郎の写真展」がございます。

佐藤氏は今では珍しく?モノクロフィルム撮影と自身でのこだわりの現像によって、

素晴らしい世界をつくっておられます。

今回の公演チラシやパンフレットは勿論、

満次郎の会のメイキング、インタビュー、本番も含めて

撮影をお願いしています。

 

モノクロ写真は、能の「想像の美学」と通じるものであると思います。

カラー写真も当然素晴らしいですので・・・。

 

その奥には日本刺繍家の久渡かおる氏と、書家の西田眞理氏による、

「日本刺繍と書」のコラボレーションです。

 

ピアニストでもある久渡氏とは、私の実家の香里能楽堂で、

地元の音楽教員を対象に能楽の教員研修を致しましたときよりのお付き合いで、

氏は中学の教員をなさっており、生徒達を後日能楽堂にお連れいただいた事もあります。

お手先の器用な事をいかされて日本刺繍作家にもなられ、

多数作品を出されていらっしゃいます。

 

ご来場の皆様に漏れなく差し上げる満次郎からの「心ばかり」の品も、

作っていただきました!お楽しみに!!

 

西田氏は久渡氏の同級生でいらっしゃるヨシミでご縁をいただき、

コラボレーション以外にも、「満次郎の会」の文字をお願いしております。

そのほか、お2人には様々お世話になっております。

 

さて、反対側のロビー中庭には、堀木エリ子氏による和紙とあかりのオブジェです。

氏は京都から世界に和紙とあかりのオブジェを発信なさっていて、

そのスケールは小さなものから巨大なものまで様々です。

 

今回は特別にご協力いただいて、中庭に「大地から芽吹く」オブジェを展示していただきます。

旗揚げ公演にはピッタリの作品をお出しいただき、感謝します。

本来、中庭だけでは勿体無いところですが・・・。

 

そして左奥ガラス展示エリアには、辰巳家蔵の能面を3面展示いたします。

題して「神々の面(おもて)」

まずは「翁(おきな)」

「神作」といわれる伝説上の作者、

聖徳大使・弘法大師・藤原不比等・春日の4人の時代のあと、

赤鶴(しゃくつる)、龍右衛門、小牛、夜叉などと共に「十作」といわれた

日光の作と伝えられ、10世紀後半の作品です。

 

次に「黒髭(くろひげ)」

越前出目家4代目の出目満永作です。

初代「元休」を名乗ったので「古元休(こげんきゅう)」とも呼ばれています。

江戸時代初期の作品です。龍神などの役柄に使います。

 

もう1面は「泣増(なきぞう)」です。

大野出目家5代目洞水満矩(とうすいみつのり)の作品です。

江戸元禄時代に活躍し、名人といわれています。

羽衣などの女神の役に使用いたします。

 

この3面を単に額に掛けるのではなく、幻想的に展示いたします。

これには株)テルミックさんのご後援をいただいております。

我々が代々大事に伝えている能面を熱などでいためない様な

ライティングを施していただきます。

お楽しみに!

 

さてさて、もう1つ・・・。

 

それは今宵限りの「満茶屋」です。

「京はやしや」さんに御協力いただき、満次郎オリジナルブレンドの「りんごほうじ茶」を

今宵限りに限定250杯、ほうじ茶のバウムクーヘンとともにご提供いたします。

満茶屋(普段は喫茶宝生グリル)内では勿論、ロビーでも出店がございます。

寒くなりましたこの頃、りんごの暖かな香りのほうじ茶をお召し上がりいただけたら・・・

と企画いたしました。

 

その他、ロビー内には売店もございます。

能楽関係のものも、来年のカレンダーなども、大倉源次郎プロデュースで

私も出演いたしておりますDVDなども・・ございます。

 

最後に、お願いを少々・・・

 

・拍手は舞台上に誰もいなくなってからお願いします。

・携帯電話の使用、無断撮影・録音はお断りいたします。

・アンケートにご協力くださいませ。お急ぎの方はファクスで後日お送りいただいても

有難く存じます。

 

では、明夜、お目にかかれます方は・・・。